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2021年12月30日 (木)

わたしの5大ヴァイオリン協奏曲



東京駅丸の内、仲通りのイルミネーション。

とある日曜日に行ったものだから、通りは人であふれてました。

冬のイルミネーションは、空気が澄んでいてとても美しく映えます。

勝手に5大ヴァイオリン協奏曲。

一般的には、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキーが4大ヴァイオリン協奏曲。

ここでは、私が好きなヴァイオリン協奏曲ということでご了解ください。

順不同、過去記事の引用多数お許しください。

①コルンゴルト(1897~1957)



   ニコラ・ベネデッティ

 キリル・カラヴィッツ指揮 ボーンマス交響楽団

        (2012.4.6 @サウザンプトン)

好きすぎて困ってるのがコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。
順不同とか言いながら、これは、一番好き、自分のナンバーワンコンチェルトです。
若き頃はモーツァルトの再来とまで言われながら、後半生は不遇を囲い、亡くなってのちは、まったく顧みられることのなかったコルンゴルト。
そして、いまや「死の都」は頻繁に上演される演目になり、なによりもこのヴァイオリン協奏曲も、ヴァイオリニストたちのなくてはならぬレパートリーとして、コンサートでもよく取り上げられ、録音も多く行われるようになりました。
1945年、ナチスがもう消え去ったあとに亡命先のアメリカで作曲。
アルマ・マーラーに献呈。
1947年、ハイフェッツによる初演。
しかし、その初演はあまり芳しい結果でなく、ヨーロッパ復帰を根差したコルンゴルトの思いにも水を差す結果に。
濃厚甘味な曲でありながら、健康的で明るい様相も持ち、かつノスタルジックな望郷の思いもそこにのせる。
 11種のCD、10種の録音音源持ってました。
若々しい表情でよく歌い上げたベネデッティの演奏。
銀幕を飾った音楽を集めた1枚で、トータルに素晴らしいのでこちらを選択。
ムター、D・ホープ、シャハムなどの演奏もステキだ!

②ベルク(1885~1935



   イザベル・ファウスト

 クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

     (2010.12 @マンツォーニ劇場、ボローニャ)

ベルクのヴァイオリン協奏曲も、このところコンサートで人気の曲。
マーラーの交響曲との相性もよく、5番あたりと組み合わせてよく演奏されてる。
1935年、「ルル」の作曲中、ヴァイオリニストのクラスナーから協奏曲作曲の依嘱を受け、2カ月後のアルマ・マーラーとグロピウスの娘マノンの19歳の死がきっかけもあって生まれた協奏曲。
ベルク自身の白鳥の歌となったレクイエムとしてのベルクのヴァイオリン協奏曲。
甘味さもありつつ、バッハへの回帰と傾倒を示した終末浄化思想は、この曲の魅力をまるで、オペラのような雄弁さでもって伝えてやまないものと思う。
 音楽の本質にずばり切り込むファウストの意欲あふれるヴァイオリンと、モーツァルトを中心に古典系の音楽をピリオドで演奏することで、透明感を高めていったアバドとモーツァルト管の描き出すベルクは、生と死を通じたバッハの世界へも誘ってくれる。
 10種のCD、12種の録音音源。


③バーバー(1910~1981



   エルマー・オリヴェイラ

  レナート・スラトキン指揮 セントルイス交響楽団

     (1986.4 @セントルイス)

1940年の作品。
戦争前、バーバーはこんなにロマンテックな音楽を作っていた。
私的初演のヴァイオリンは学生、指揮はライナー。
本格初演は1941年、ヴァイオリンはスポールディング(なんとスポーツ用品のあの人)とオーマンディ。
3楽章の伝統的な急緩急の構成でありますが、バーバー独特の、アメリカン・ノスタルジーに全編満たされている。
 幸せな家族の夕べの団らんのような素敵な第1楽章。

第2楽章の、遠くを望み、目を細めてしまいそうな哀感は、歳を経て、庭に佇み、夕闇に染まってゆく空を眺めるにたるような切ないくらいの抒情的な音楽。
無窮動的な性急かつ短編的な3楽章がきて、あっけないほどに終わってしまう。
この3楽章の浮いた存在は、バーバーのこの協奏曲を聴く時の謎のひとつだが、保守的なばかりでない無調への窓口をもかいま見せる作者の心意気を感じる次第。
 ハンソンのロマンティック交響曲とのカップリングで発売された、アメリカ・ザ・ビューティフルというシリーズの1枚。
ポルトガル系アメリカ人のオリヴェイラのヴァイオリンは、その音色がともかく美しく、よく歌うし、技巧も申し分ない。
加えてスラトキンとセントルイスの絶頂期は、アメリカのいま思えば良き時代と重なり、まさにビューティフルな演奏。
 CDは5種、録音音源は8種。 

④シマノフスキ(1882~1937)



  アラベラ・シュタインバッハー

 マレク・ヤノフスキ指揮 ベルリン放送交響楽団

     (2009.5 @ベルリン)

ポーランドの作曲家シマノフスキの音楽作風はそれぞれの時期に応じて変転し、大きくわけると、3つの作風変化がある。
後期ロマン派風→印象主義・神秘主義風→ポーランド民族主義風
この真ん中の時期の作品がヴァイオリン協奏曲第1番。
ポーランドの哲学者・詩人のタデウシュ・ミチンスキの詩集「5月の夜」という作品に霊感をえた作品で1916年に完成。
 単一楽章で、打楽器多数、ピアノ、チェレスタ、2台のハープを含むフル大編成のオーケストラ編成。
それに対峙するヴァイオリンも超高域からうなりをあげる低音域までを鮮やかに弾きあげ、かつ繊細に表現しなくてはならず、難易度が高い。

鳥のざわめきや鳴き声、透明感と精妙繊細な響きなどドビュッシーやラヴェルに通じるものがあり、ミステリアスで妖しく、かつ甘味な様相は、まさにスクリャービンを思わせるし、東洋的な音階などからは、ロシアのバラキレフやリャードフの雰囲気も感じとることができます。
これらが、混然一体となり、境目なく確たる旋律線もないままに進行する音楽には、もう耳と体をゆだねて浸るしかありません。
 この作品が好きになったのは、ニコラ・ベネデッティとハーディングのCDからだけど、彼女の演奏はコルンゴルトで選んじゃったから、同じ美人さんで、シュタインバッハーとヤノフスキのものを選択。
鮮やかで確かな技巧と美しい音色のヴァイオリンは、万華鏡のようなシマノフスキの音楽を多彩に聴かせてくれます。
 この作品もコンサート登場機会が急上昇中。
CDは3種のみ。録音音源は5種。

⑤ディーリアス(1862~1934)



    ユーディ・メニューイン

 メレディス・デイヴィス指揮 ロイヤル・フィルハーモニック

   (1976.6 @アビーロードスタジオ)

1916年、グレ・シュール・ロワンにて作者54歳の作品。
 戦火を逃れ、ドイツからロンドンに渡ったディーリアスは、メイ&ビアトリスのヴァイオリンとチェロの姉妹二重奏を聴き感銘を受け、姉妹を前提に、このコンチェルトや二重協奏曲、デュプレで有名なチェロ協奏曲が書かれた。だからイメージは3曲とも、似通っているが、このヴァイオリン協奏曲がいちばん形式的には自由でラプソディーのような雰囲気に満ちているように思う。
単一楽章で、明確な構成を持たず、最初から最後まで、緩やかに、のほほんと時が流れるように、たゆたうようにして過ぎてゆく。
デリック・クックはこの単一楽章を分析して、5つの区分を示し、ディーリアスの構成力を評価したが、わたしはそうした聴き方よりも、感覚的なディーリアスの音楽を自分のなかにある心象風景なども思い起こしながら、身を任せるように聴くのが好き。
フルートとホルン、ヴァイオリンソロでもって、静かに消え入るように終わるヴァイオリン協奏曲。
夢と思い出のなかに音楽が溶け込んでいくかのよう・・・・・
 メニューインとデイヴィスの、いまや伝説級の70年代のEMI録音は、録音も含めて、ジャケットのターナーの絵画のような紗幕のかかったノスタルジーあふれる演奏を聴かせてくれる。
この雰囲気の豊かさは、最新のデジタル録音では味わえないものかもしれないが、だからこそ、タスミン・リトルの新しい録音は是非にも聴かねばならぬと思っている。
CD音源3種、録音音源2種。



週1か隔週ぐらいのペースでblogを更新しましたが、今年ほど思わぬ訃報が舞い込んでお別れの記事を書いた年はないかもしれません。

来年はどんな年になりますかどうか。
音楽を聴く環境も様変わりし、コンサートに出向く機会も激減。
いくつも仕掛り中のシリーズを順調に継続したいけど、時間があまりなく、風呂敷を広げすぎたかなと反省中。

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2021年12月24日 (金)

クリスマス on ボストン・ポップス



12月の街には活気が2年ぶりに訪れ、人々のマスクの下には笑顔が戻ってきました。

でも、日本に比べると海外はたいへんなことになってますね。

来年以降の外来演奏家のコンサートは黄色信号のまま。

楽しみにしていた二期会のコンヴィチュニー演出「影のない女」も中止に。。



キリスト教国でない日本でもクリスマスはこぞってお祝いします。

ワタクシもそのクチです。

クリスマス風の食事をして、クリスマスにまつわる音楽を聴きます。

今年は、ボストン・ポップスの演奏を歴代指揮者で聴いてみました。



 CHRISMAS PARTY    (録音年代不詳 RCA)

   WHITE CHRISTMAS  (1970 ボストン DG) 

アーサー・フィードラー指揮 ボストン・ポップス・オーケストラ

ボストン生まれのフィードラーは、亡くなるまで49年間にわたり、ボストン・ポップスの指揮者をつとめました。
RCAレーベルに大量のレコーディングを残し、DGがボストン響の録音を始めた70年には、同時にボストン・ポップスもDGに登場するになりました。
その後はデッカにも録音をするようになり、レーベルによって音の雰囲気も変わるようになり、まさに多彩なボストン・ポップスが味わえるようになりました。

おそらく50年代後半あたりの録音と思われるRCA盤は、まさにアメリカのクリスマス・シーンを感じさせる、むかし、アメリカのテレビ番組などで垣間見たようなアットホームな雰囲気ただようもの。
クリスマス音楽の定番ばかりがおさめられてる。
DG盤にはない、ヘンゼルとグレーテルが入っているのがうれしい
録音のほどよい古さもいい感じだ。



そして、DG盤は録音も格段によくなり、バリっとしたばかりか、明るく爽やか、響きも豊かで、ワクワク感も満載。
RCA盤の定番に加え、ここでは、バッハやモーツァルトが加わったのが、DGたるゆえんでしょうか。
ややムーディだけど、バッハのクリスマス・オラトリオのパストラーレが極めて美しい。
また、CDでは、76年録音のバッハの作品が数曲チョイスされてます。
両盤に共通の、ボストン・ポップスの十八番といってもいい、アンダーソンのそり遊びなんて、抜群の演奏でどちらも最高です。
そして、DG盤の最後を締めくくる、ホワイトクリスマスは、まさに聖夜の響き、静かに、じんわり、感動します。



    Wie Wish You A Merry Christmas 

 ジョン・ウィリアムス指揮 ボストン・ポップス・オーケストラ

          (1980.12  ボストン)

フィードラーのあと、ボストン・ポップスの指揮者には、スクリーン界の作曲家と思い込んでたジョン・ウィリアムスが迎えられました。
そして録音レーベルも、ボストン響がそうであったように、フィリップスに移動。
J・ウィリアムスの任期は93年までですが、のちにはソニーレーベルにも録音するようになりました。
いつもフィリップス録音をほめちゃうけど、ここでもボストン・ポップスの音は重厚さを増して鮮やかに刷新されたように感じました。
J・ウィリアムスのクリスマスアルバムは、定番のメドレー集クリスマス・フェスティバルをはじめ、クリスマス・キャロルとビリー・メイの作品、ふたつのメドレー集。つまり3つのクリスマス・メロディーを中心に構成されてます。
このあたり、さすがと思わせますね。
あと面白いのは、アイヴズのクリスマス・キャロルが演奏されていること。
いずれも、きっちりした確かな演奏と感じるJ・ウィリアムスの指揮です。



  Holiday Pops

 キース・ロックハート指揮 ボストン・ポップス・オーケストラ

          (1997.12 ボストン)

1995年からボストン・ポップスの指揮者をつとめるのは、NY生まれのキース・ロックハート。
レーベルもRCAに戻りました。
録音の印象もDGとフィリップスとも違う、落ち着きあるバランスのよい音。
ロックハートは、フィードラー系のライト・クラシックの指揮者かと思いきや、アメリカのメジャーオケは大半指揮してるし、先般もネットでチェコフィルを振ったドヴォザークやヤナーチェク、BBCコンサート管を振ったアーノルドなどを聴いてます。
幅広い活動をしているロックハートのクリスマス・アルバムは、ボストン・ポップスの伝統あるHoliday Traditionalを引き継ぎつつ、新たな目線も加えた新鮮で楽しい1枚です。
歴代が録音していたクリスマス・フェスティバルはここにはなく、ミュージカルから短めのメドレーや、RVWのクリスマス・キャロル幻想曲、ベルリオーズのキリストの幼児から羊飼いの合唱、ビゼーのファランドールなどのクラシック。
もちろん、定番のそり滑りは、ダングルウッドの合唱も加わってナイスなノリの演奏ですが、このCD、全般に落ち着いたラグジュアリーな雰囲気であります。
あと、スノーマンや、ホームアローンといったスクリーンの音楽も。
このホームアローン2は、ニューヨークのゴージャスなホテルやタイムズスクエアのツリーが美しい、感動的なホームコメディ映画でしたが、J・ウィリアムスの曲もあったのですね!
ラストを飾るこの曲、明るくとても前向きな気分にさせてくれる。
しっとりでなく、元気に終わるクリスマスアルバムもまた悪くない。



これからが本格的な冬を迎える日本。

街は明るい雰囲気だけど、人々は笑顔だけど、でも心のなかは不安がいっぱい、もやもやがいっぱいだと思います。

お願いだから、静かなクリスマスに続いて、静かなお正月を迎えさせて欲しい。



いまこそ、世界を平和に導いてくれるお方がお出ましにならないものか・・・・

よきクリスマスを🎄

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2021年12月19日 (日)

R・シュトラウス 「サロメ」



六本木の毛利庭園には、ハート型にうまくねじれたモニュメントが通年あります。

冬の夜景が一番しっくりきます。

遠くに東京タワーは、赤のライトアップ仕様。



どんな色が施されても、東京タワーはスクッと美しい。

同期生、ワタシも頑張らねば。

そして、頑張って「サロメ」を乱れ聴いた。

R・シュトラウスのblog2度目のオペラ全作シリーズ。



悩めるヘルデンテノール役を主人公にしたワーグナーの完全な影響下にあった1作目「グンドラム」(1894年)
ジングシュピール的メルヘン劇の「火の欠乏」(1901年)

これら、いまや上演機会の少ない2作に続いて書かれた「サロメ」は、シュトラウスとしても当時、興行収入が大いにあがったオペラで、ガルミッシュに瀟洒なヴィラを建てることもできた。
そして、いまや世界中でこぞって上演される劇場になくてはならぬ演目となりました。

原作のオスカー・ワイルドの戯曲は1891年にパリでフランス語により作成。
ドイツでは、独語訳により1901年に上演されているが、同時期にシュトラウスにオペラ化の提案がありその気になった。
しかし、その台本は採用されず、ラッハマンの原作の独語訳を採用することで1903年より作曲を開始、1905年に完成。
同年、ドレスデン初演され成功を博し、各地で上演されたものの、好ましくない内容として上演禁止にされることもあったという。
前2作以上に、ワーグナー以降のドイツオペラにあって革新的であったのは、優れた文学作品をその題材に選んだことで、しかもその内容が時代の先端をゆくデカダンス=退廃ものであったこと。
そうしたものを、実は人間は見たいのである。
 初演時のサロメ役は、見た目はまったく少女でもなく、しかし、こともあろうに、演出のせいもあったが、自分は品性ある女性、倒錯と不埒さばかり。。と駄々をこね、周りを困らせたらしい。
シュトラウスは、16歳の少女の姿とイゾルデの声のその両方を要求する方が間違っていると、自分のことながら皮肉をこめて語っている。
保守的なウィーンでの初演はずっと遅れて1918年。
マーラーのウィーン時代に、当局より検閲を受け、マーラーはシュトラウスあてに、上演できない旨の手紙をしたためているが、この手紙は投函されず仕舞い。いつかは上演できるとの思いもあったのではとされます。
オーストリア皇室の反対が強く、マーラーと劇場の関係が悪化したのも、そうしたことも理由にあるらしい。

日本初演は、ドレスデンでの世界初演から遅れること57年、1962年です。
調べたら、大阪で、グルリット指揮の東フィル、歌手はゴルツや、ウール、メッテルニヒという本場でも超強力のメンバーで、当時の日本の聴衆はさぞかし驚いたことだろう。
いまでは、日本人歌手のみによる上演も普通になされるようになり、半世紀における演奏技術の進化には目をみはるものがあります。
それは、世界的にみてもおなじことで、サロメを歌う歌手たちは、ビジュアル的にもスリムになり、磨きもかかり、声と演技とに、さまざまなスタイルの女性を歌いあげることも、ますます普通のことになった。

さて、シュトラウスの激しく、劇的で、しかも官能と甘味あふれる音楽。
「私はすでに長い間、東方およびユダヤ的側面を持つ音楽について、実際の東洋的な色彩、灼熱した太陽に不足していることを感じていた。
とくにめずらしいカデンツァで艶のある絹のように多様な色彩を出すような、本当に異国風な和声の必要さを感じた。
モーツァルトがリズムの差による人物描写を天才的な手法で行ったように、ヘロデとナザレ人たちの性格を対比するには、単純なリズムで特徴づけるだけでは不十分だと思った。
鋭い個性的な特徴を与えたいという思いから、多調性を採用した」
シュトラウスのこれらの言葉にあるように、サロメの音楽は色彩的であるとともに、描写的にも、これまで多くの交響詩で鍛え上げられた筆致の冴えが鮮やかなまでに生かされている。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「サロメ」を視聴するにあたり、自分の着目ポイント

①冒頭を飾るナラボートの歌

②井戸から引き出されたヨカナーンとサロメの会話~エスカレートする欲求
 「体が美しい」→「黙れソドムの子」
 「体は醜い、髪が美しい」→「黙れソドムよ」
 「髪の毛は汚らわしい、お前のその口を所望する、接吻させろ」
 (ナラボート、ショックで抗議自殺)

③神々しいヨカナーン
 「お前を助けることができるのは唯一ひとり」
  ガリレア湖にいるイエスを歌う場面
  急に空気感が変わる清涼な雰囲気の音楽
  最後は「お前は呪われよ!」と強烈な最後通告を下す!
  そのときの凄まじい音楽

④ヘロデのすっとこどっこいぶり
 「さあ、サロメよ酒を飲め、そして同じその盃でワシも飲むんだから」
 「あまえの小さい歯で果物に付けた歯形を見るのが好き。
  少しだけ噛みきっておくれ、そしたら残りを食べるんだから、うっしっし」
  嫁にたしなめられつつも、お下劣ぶりはとまらない

⑤ユダヤ人たちの頑迷さと、救世主を待望するナザレ人
  それぞれの性格や、混乱ぶりを音楽で見事に表出

⑥7つのヴェールの踊りへなだれ込む瞬間が好き
  単体で聴いたんじゃ面白くない、流れが肝要
  この「7」という数字には意味合いがあるのだろうか?
  キリスト教社会にある、「7つの大罪」とリンクされているのだろうか

⑦ダンスのあとの、おねだりタイム
 H「見事、見事、褒美を取らすぞ、なにが欲しい?」
 S「銀の鉢へ」
 H「ほうほう、可愛いことを言いようるの、なんじゃ、なにが欲しい?」
 S「ヨカナーンの首」
 H「ぶーーっ、だめだ、だめぇーー」
 妻「ははは、さすがは、わたしの娘」

  ここでのヘロデのリアクションが面白いし、音楽も素っとん狂だ

  これまで観たヘロデびっくりリアクションの金賞は、メット。
  キム・ベグリーの思わず酒を吹く芸人魂あふれる演技


   (サロメはマッティラ、かなりきめ細かな噴射でございます)

  ヘロデは、ルビー、宝石のありとあらゆるもの、白い孔雀などなど
  代替の品を提案する。
  シュトラウスの音楽の宝石すら音にしてしまう至芸を味わえる。
  提案のたびに、サロメは、「ヨカナーンの首を」と否定。
  
  この「ヨカナーンの首」を所望するサロメの言葉。
  この場面で、全部で「7回」あります。
  ここでも「」が!

  この7つの「ヨカナーンの首」をそれぞれ表現を変えて歌うサロメもいる
  
  「Gib' mir den Kopf den Jochanan!」
  ヨカナーンの首をくれ、という最後の7つめは壮絶
  ここだけでも、聴き比べが楽しい。
  演劇的な要素も多分に求められるようになったオペラ歌手たち。
  かつては考えられない、多様な歌唱を求められるようになったと思う。

⑧サロメのモノローグ

  あらゆるドラマテックソプラノのロールの最高峰級の場面
  聴き手はもう痺れるしかないが、歌手はほんと大変だ。
  愛おしむように、優しく歌い、
  でも官能と歓喜の爆発も歌いこまなくてはならない
  
⑨おまけ ヘロデのひと声

  おい、あの女を殺せー
  「Man töte dieses Weib!」

  ドラマの急転直下の結末を与える、このエキセントリックなひと声も大事
  いろんなヘロデで楽しみたい。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そんなわけで、いろんなサロメや、オーケストラを聴きたくて、新旧いくつもの音源をそろえること8種類。
映像も4種、エアチェック音源は10種も揃えることとなりました。



①「ショルティ盤」1961年
1961年、そう、日本初演の前年に、「リング」録音のはざまに、カルショウのプロデュースで録音されたもの。
あのリングの延長上にあるような録音で、生々しいリアルサウンドが、キレのいいショルティの剛直な演奏をまともに捉えたもので、ニルソンの強靭な歌声もいまだ色あせない。
しかしながら、ニルソンはすごいけれど、現代のもっとしなやかで、細やかな歌唱からすると強靭にすぎるか。
全般に現在の感覚からすると、やりすぎで重厚長大な感も否めない。
これ単体とすれば、立派すぎて非の打ちようもないのだけれども。

②「ベーム盤」1970年
CD時代になってから聴いたベーム&ハンブルグ歌劇場の70年ライブ。
ライブのベームならでは。
熱いけど、重くなくて、軽やかなところさえある。
長年サロメを指揮してきた勘どころを押さえた自在な指揮ぶりは、感興たくましく、さまざまなサロメの姿を見せてくれる。
それにしても、最期のサロメのモノローグのすさまじいばかりの盛りあがりはいつ聴いてもたまらない。
グィネス・ジョーンズの体当たり的な熱唱も、ベームに負けじおとらずで、私はがんらい、ジョーンズの声が好きなものだから、彼女の声や歌いぶりを批判する批評は相容れません。
70年代はじめ、オルトルート、レオノーレ、オクタヴィアンなど、メゾの領域もふくめた幾多のロールに起用され、指揮者からもひっぱりだこだったジョーンズ。
あわせてヴェルディやプッチーニも積極的に歌ってました。
私は、そんなジョーンズが好きで、ブリュンヒルデ、イゾルデ、バラクの妻、トゥーランドッドなど、みんな好き。
そう、ニルソンにかぶります。

③「スウィトナー盤」1963年
スウィトナーとドレスデンのサロメ。
味わいの深さと、ベームのような軽やかな局面もあり、モーツァルト指揮者だったスウィトナーが偲ばれる。
63年の録音で、前年に日本初演の舞台に立ったゴルツのサロメが、いま聴いても古臭くなく、なかなかに鮮烈なもの。
チョイ役に、アダム、ヨアヒム・ロッチュ、ギュンター・ライプなど、のちに東ドイツを代表する歌手たちの名前があるのが懐かしいが、準主役級はやや古めかしい歌唱も混在。

④「ラインスドルフ盤」1968年
以前にもブログに書いたラインスドルフ盤は、なんといってもカバリエのサロメ。
繊細な歌唱が、少女から妖女までを巧みに歌いこんでいて、まったく違和感はない。
マッチョなミルンズのヨカナーンとか、レズニックのヘロディアスなんかもいいし、キングのナラボートがヒロイックだ。
オペラ万能指揮者のラインスドルフとロンドン響も悪くない、ユニークだけど、普通にサロメが楽しめる。

⑤「ドホナーニ盤」1994年
まず、録音がいい。ショルティ盤がやや古めかしく感じるほどにいいし、ウィーンフィルのよさもばっちりわかる。
ドホナーニの指揮もかつてはドライに感じたが、いまやそうでもなく、ほどよい湿り気があっていい。
あとマルフィターノが、素晴らしい。
表現の幅が、無限大な感じで、少女から妖女までを声で見事に演じ切ってる。
映像もいくつか見たけど、顔もおっかないし、大胆なダンスも。。。
ターフェル立派すぎ、リーゲルのヘロデはナイスです。

⑥「メータ盤」1990年
なんたって、ベルリンフィル唯一のサロメ。
もうね、誰が指揮者でもいいや。
ともかく、いつものベルリンフィルの音がするし、べらぼーにウマいし、ゴージャス。
シンフォニックにすぎるメータの捉え方もあり。
マルトンは声の威力は十分で、少女らしさもあったりして意外、でも大味。
ヴァイクルは柔和すぎだが、ツェドニクのミーメのようなヘロデも素敵なもんだ。
ファスベンダーがヘロディアスという豪華さ

⑦「ベーム盤」1965年
メトロポリタンでのモノラルライブで、ニルソンの圧倒的なサロメ。
ここでも燃えまくるベームの指揮がすごい。
カール・リーブルという懐かしい名前がヘロデ役に。
クナのパルジファルのクンドリー、ダリスがヘロディアス。
ヨカナーンは知らない人



⑧「シノーポリ盤」1990年
全体にリリカルなシノーポリのサロメ。
デビュー時の煽情的な演奏スタイルはなりを潜め、予想外のしなやかで、美しく、微細な感情移入にあふれたサロメの斬新な姿。
ステューダーの起用も、そんな意図に裏付けられていて、歌手ありきでもあるし、歌手もそんな演奏スタイルに全霊を注いでいる。
少女がそのまま無垢なまま妖しい女性になった感じ。
不安定さもその持ち味のまま、揺れ動くサロメ像を歌ったステューダー。
リザネック、ターフェル、ヒーステルマンも万全。
最近、一番好きなサロメの音盤かもです。

おわかりいただけただろうか、「カラヤン」がないのを。
なぜかこうなりました。
そのうちが、いつかになり、で、年月が経過した結果にすぎません。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

エアチェック編

①「ケンペ&バイエルン国立歌劇場」1973年
 当時のカセットテープから発掘、しかし、冒頭と最後の場面の40分ぐらい。
   むちゃくちゃ熱いケンペの指揮。
 リザネックが伝説級。

②「ホルライザー&ウィーン国立歌劇場、来日公演」1980年
 いまでもウィーンの舞台はこのバルロク演出。
 テレビ観劇もしました。
 リザネックは映像では厳しかったが、さすがの貫禄

③「シュタイン&スイス・ロマンド」1983年
 ジュネーヴ大劇場のライブ。
 シュタインのベームばりの熱気を感じさせる指揮が熱い。
 ミゲネスの芸達者なサロメに、エステスの力感豊かなヨカナーン。
 ロバート・ティアのヘロデに、ナラボートには若きウィンベルイ。


④「ネルソンス&ボストン」2014年

 演奏会形式、鮮度抜群、切れ味よし、最高水準のオーケストラサウンド。
 バーグミン、ニキティン、シーゲル、ヘンシェル、みんないい。
 これはそのままCD化できる。
 音質も最高。

⑤「ラニクルズ&ベルリン・ドイツ・オペラ」2014年
 プロムスへの客演のライブ。
 ラニクルズの熱さと、BDOの手練れのおりなす充実のライブ。
 シュティンメのサロメがじっくり聴ける。

⑥「ペトレンコ&バイエルン国立歌劇場」2019年
 同時配信の映像も見た。
 複雑な心境になる演出で、最後は全員服毒自殺を・・・
 死んでないヨカナーン・・・
 ペトレンコの最高に鮮烈で、生き生きした、しかも切れ味抜群の早めのテンポで駆け抜けるようなオーケストラ。
 ペーターゼンのスリムでリリカルなサロメは、映像を伴わないと物足りないかも。
 でも、その歌は単体として説得力があり、魔性を感じさせる。
 コッホのやや醜いヨカナーンはいたぶり甲斐もあった。
 
 そんだけ、ビジュアルを伴ったペーターゼンはすごい!
 演出はワリコフスキー。そのうち映像化されるかも。
 盛大なブーを浴びてます。

⑦「レオ・フセイン&ウィーン放送響」2020年

 テアター・アン・デア・ウィーンのコロナ前の1月のけ込み上演。
 ここでもペーターゼンの絶唱が。
 
 奇抜な演出の模様は画像でも確認できる。
 バイエルンがいまだに映像化できないのは、こちらがあるからか?
 ウィーンも100年経って変わったものだ。

⑧「ボーダー&ウィーン国立歌劇場」2020年
 アンデア・ウィーンが斬新な演出で上演した同じ月、1月には、本家の国立歌劇場でもサロメ。
 72年からずっと続いているバルロク演出、ユルゲン・フリムの衣装・舞台。
  クリムト風の世紀末と旧約聖書の物語の融合はいまでも色あせない。
 
 美人さん、リンドストロムのサロメが好き。
 北欧出身ならではの硬質さに、繊細な歌いまわし、首おくれ!も迫力あり。
 マイアーの鬼ママもいいし、フォレ、ペコラーロもさすが。
 ただ、前にも書いたが、最後にオケがこけてる・・・・
 同時期に、リンドストロムは、セガンの指揮で影のない女を歌ってまして、そちらもステキ

⑨「ルイージ&ダラス響」2020年
 ダラス響の演奏会形式上演。
 ルイージの明快な指揮に、明るいオケ。
 
 リトアニア出身のステューンディテはサロメ、エレクトラで引っ張りだこ
 ザルツブルクでのエレクトラもいい。
 しなやか声の持ち主で、今後、ワーグナーを中心に据え活躍期待。

⑩「シャイー&スカラ座」2021年
 
 きっとDVD になるだろうと思うスカラ座上演。
 こういうのは、シャイーはうまい。
 キャストもスカラ座ならではの豪華さ。
 ロシアのスキティナは美人でいま、こちらも引っ張りだこ。
 シーゲル、リンダ・ワトソン、コッホ、リオバ・ブラウンなどなど
 ミキエレットの風変りな演出も見てみたいぞ。
 
映像&舞台編

①「シノーポリ&ベルリン・ドイツ・オペラ」1990年
 昔のVHSテープにて。
 演出は穏健、マルフィターノの、のめり込んだ迫真の演技と歌。
 ダンスではすっぽんぽんに。
 ぼかし必須だ。
 エステスのヨカナーンが凄まじい

②「サマース&メトロポリタン」2008年
 メトにしては、現代風な演出。いまや普通。
 マッティラのビジュアルちょっと無理あるサロメだけど。
 歌は素晴らしい。
 上述のとおりのヘロデのベグリーのすっとこぶりが最高
 ヨカナーンはうしたろう。

③「ガッティ&コンセルトヘボウ」2017年
 演出がわけわからん中途半端っぷり。
 もっとはじけてもいいと思ったけど、そのくせ血みどろなところが苦手
 
 スリムな美人ビストレムは、強靭さなしの、しなやか系サロメ。
 いいと思う。
 タトゥーンまみれのニキティンもいい
 なにより、ガッティとコンセルトハボウが硬軟合わせた万能ぶり

④「メスト&ウィーンフィル」2018年 ザルツブルク
 以前より活躍していたアスミク・グレゴリアンを驚きをもって聴いた!
 ショートカットのまさに真白きドレスをまとった少女。
 最初はおどおど、やがて顔色ひとつ変えない冷徹な美少女に変身
 そんな演技と役作りを、歌でも完璧に聴かせる。
 ソットボーチェから、強靭なフォルテまで、広大なレンジと声質七変化!
 まいりました!
  ほかの役柄、意味の分からない演出は彼女の前では無力。
 メストとウィーンフィルは無色透明で、これでよい。

舞台は、まだ2回のみ。
新国のエヴァーディング演出、二期会のコンヴィチュニー演出
過去記事リンクになってます。。

ながながと書きました。
いま、サロメのお気に入りは、ペーターゼンとグリゴリアンでござる。


  (ペーターゼンのバイエルン、この番号はなに?
   実験動物の遺伝子ID・・・か)

 (グリゴリアンのサロメ、おっかないサロメのイメージはいにしえに)



サロメは、シュトラウスのオペラのなかでは苦手な存在だったけれど、こんだけ集中して聴くと、妙に愛着がわいた。
頭の中が、リングとサロメだらけで参った。
しかし、サロメには、ばらの騎士の音楽の要素もあるんだ。
やはりこうして、シュトラウスならではの音楽を、各処に確認することができたし、オペラ初期2作から、ここに至った筋道も確認、同時に、エレクトラもギリシア劇としての視野が次に用意されたことも、ここに認めることができる。

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2021年12月 6日 (月)

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 ベルリン・ドイツ・オペラ 2021



東京タワーの横にある「もみじ谷」公園にて。

今年は青空がやたら青くて、いまのところ連日の晴れ。

赤が映えます。


             (ラインの黄金~ローゲと神々のみなさま)

ベルリン・ドイツ・オペラの新しい「リング」が、昨年から始まって、11月に完了。
RBB(ドイツのネット放送)で、全4部作を高音質で聴くことができた。

ベルリン・ドイツ・オペラのリングといえば、われわれ日本人が通しリングを始めて体験した、ゲッツ・フリードリヒのトンネル・リングが長らく定番として上演されてきました。
それに代わる「リング」
コロナの影響を受けて、「ワルキューレ」のみ2020年、ほかの3作を2021年に相次いで上演して新リングを完成させました。

演出は、人気のステファン・ヘアハイムということもあり、4部作は映像収録され、来年に発売されるそうだ。
お値段次第でポチっとするかもしれないけど、トレーラーを見てなんともいえない気分になるのは、昨今の演出のありがちなこと。
全部見なくちゃわからんが、正直言って、ギャグ満載のリングのパロディ化か・・・・
いや、面白いよ、きっと。。。たぶん・・・・

各役柄にいろんな意味を持たせる手法、それが観劇すれば説得力を持って、劇のなかで大きな流れのなかのパズルのひとつになる。
そうなれば、万々歳なんだけど・・・・ヘアハイム・リングはどうなるだろうか。


    (ワルキューレ~夫婦喧嘩を見守る群衆、盾もお笑い)

音だけで4部作を聴いての悪印象は、登場人物の歌以外に発する声。
うなり声、叫び声、笑い声、それも下卑たヒヒヒだったり多数・・・、音だけで聴いてると、正直、音楽の感興を阻害することとなる。
で、舞台写真やトレーラーから推察される、それらの声。。
なんで、そんなことまでして、ワーグナーの本来の本質をわざと外して意味付けを行い、解釈をするんだろうか・・・・
アルベリヒと息子のハーゲンのいやらしいヒヒヒはキモイ。
しかも、彼らの顔は、バッドマンのジョーカーそのものだ。
さらに、グンターに変身したジークフリートは、オバQみたいだったww

すいません、つらつらと、ちゃんと全部見て語れってことだけど。

しかし、その演奏面は素晴らしい。
まずもって、長らくベルリン・ドイツ・オペラを率いる、スコットランド出身のドナルド・ラニクルズの指揮が素晴らしい。
ワーグナーやリングを指揮して30年以上、と本人も語るとおり、演出抜きして堂々たるワーグナーを聴かせてくれる。
重厚なれど軽やかで、しかも鮮明で一点の曇りなし。
大きな流れをまず構築しつつ、細部を緻密に積み上げ、壮大かつダイナミックな雄大なワーグナー。
バイロイトでも90年代タンホイザーを指揮、そのころから聴くようになったラニクルズ。
ここで、こう決めて、こう伸ばして、こう、がぁーーっときて、という具合に、ワタクシが思う流れがぴたりと符合して心地いい。
左手に指揮棒、サウスポーのワーグナー指揮者ラニクルズ氏の待望のリングです。
サンフランシスコ・オペラとベルリン・ドイツ・オペラの指揮者であり、英国でもBBC系のオーケストラとの音源多数。
ラニクルズのマーラーやブルックナーも素晴らしいです。


        (ジークフリート~ミーメさんと主人公)

ベルリン・ドイツ・オペラのオーケストラの巧さも定評のあるところ。
傷も散見されたが、ピットの中の熱気あふれる演奏を堪能。
神々の黄昏の大団円は、ことさらに感動的だった。


  (神々の黄昏~たぶん自己犠牲のシーン、下着まみれ・・・)

歌手では、なんといっても、シュティンメのブリュンヒルデが、安定感と力強さ、しなやかさで比類ない存在を示してました。
しかしね、ヘアハイムって、下着姿が好きなんだよな、ほかの演出でも。
全編にわたって、その下着姿が氾濫していて、ブリュンヒルデにも容赦ない。
ラインの乙女たちも、あられもない姿で、男とアレしちゃうし、下着姿の群衆が、いたるとこでヤリまくってる・・・・
何だこりゃって感じで、R指定になるよこりゃ・・・

ジークフリートで登場したアメリカのテノール、クレイ・ヒレイ(Clay Hilley)が驚きの歌声。
明るく屈託のない、よく伸びる声は自然児ジークフリートにぴったり。
黄昏では、より厳しさも求めたいところだったが、スタミナも十分で最初から最後まで元気な声。
なかなかの巨漢で、動きがアレなのはしょうがないが・・・

ミーメのチュン・フン?(Ya-Chung Huang)もびっくりの発見。
台湾出身の新星で、のびやかでクリアーボイス。
ベルリン・ドイツ・オペラの専属になったようで、今後の活躍も期待。

ウォータン&さすらい人は、スコットランド出身のパターソンで、このバスバリトンも最近ウォータンを各地で歌っており、パリのジョルダン・リングでもそうだった。
やや軽めで、もう少し力強さも求めたいところだけど細やかな歌いまわしは巧みで、アルベリヒやミーメとの絡みは面白かった。
ただラインの黄金では、オーストラリア出身のデレック・ウェルトンがウォータンで、より若々しい雰囲気。
あえて、ラインの黄金のウォータンを異なる立場で描きたかった演出意図なのかもしれない。

あと印象に残ったのは、アメリカのヨヴァノヴィチのジークムントは豊かな実績を裏付ける力唱だし、ダムラウのヴァルトラウテもシュティンメのブリュンヒルデに負けず劣らずの存在感。
ほかの諸役も初めて聞く名前ばかりだが、いずれもベルリン・ドイツ・オペラの水準の高さを物語る歌唱でありました。


「ラインの黄金」

ウォータン:デレック・ウェルトン ドンナー:ヨエル・アリソン
フロー :アットリオ・グラッサー ローゲ:トマス・ブロンデーレ
フリッカ:アンニカ・シュリヒト  フライア:フルリナ・シュトゥッキ
エルダ :ユデット・クタシ      ファゾルト:アンドリュー・ハリス
ファフナー:トビアス・ケラー   アルベリヒ:マルクス・ブリュック
ミーメ :ヤ-チュン・フン    ウォークリンデ:ヴァレリア・ザヴィンスカヤ
ウェルグンデ:アリアナ・マンガネッロ フロースヒルデ:カリス・トラッカー

                      (2021.6/12)

ジョーカーのアルベリヒは、トランペットを手にしつつ、4部作中、ずっと据えられているピアノの中から即、指環を取り出し、黄金強奪となった。
悪魔くんみたいなローゲは、見た目は悪魔に変身したミッキーマウスか?
やさぐれた神々たちも情けない雰囲気。
聴衆から笑い声もあがる(笑)
でも虹色はきれいだな。



「ワルキューレ
 
ジークムント:ブランドン・ヨヴァノヴィッチ   
ジークリンデ:エリザベス・タイゲ
フンディンク:トビアス・ケラー   ウォータン:イアン・パターソン
フリッカ:アンニカ・シュリヒト   ブリュンヒルデ:ニーナ・シュティンメ

ワルキューレは本物の狼さんが出てるし大丈夫か?
ジークムントはニートみたい。
ピアノから剣を引っこ抜くのは無理筋じゃね?
そうそう、ピアノからみんな登場するね。
ヘアハイムのパルジファルでも、クンドリーは貞子みたいに、穴からせせりあがってきたし。
ジークリンデの感動的な感謝の歌をピアノ伴奏するブリュンヒルデ。
告別シーンはどんなだろ?

見てみたい。



「ジークフリート」

ジークフリート:クレイ・ヒレイ  ミーメ:ヤ-チュン・フン
さすらい人:イアン・パターソン アルベリヒ:ヨルダン・シャナハン
ファフナー:トビアス・ケラー  エルダ:ユデット・クタシ
ブリュンヒルデ:ニーナ・シュティンメ      
森の小鳥:ドルトムント少年合唱団員

          (2021.11.12)

ほぼワーグナーそっくりのミーメ。
ピアノから楽譜を誕生させる楽器職人かい。
それにしてもジークフリートがでかい、小柄なミーメの3倍もあるよ。
大蛇ファフナーが秀逸で、牙がラッパになってるし、そこからファフナーは引っ張り出される。
巻き付けた白い布をジークフリートにくるくるされて、時代劇の悪代官みたいに、あれぇーー、とばかりに、ほれはれほれはれ、されてしまいステテコ姿にされたあげく刺されちゃう。
しかし、大きな疑問は、鳥の声を少年に歌い演じさせたこと。
苦し気だし不安しか感じない。
さらに血まみれで横たわってたし・・・・まさかジークフリートに・・ってか??
ハッピーエンドも、主役の二人以外に、下着男女が乱れまくり、やりまくり・・・・・

なんだかんだで、観てみたいww



「神々の黄昏」

ジークフリート:クレイ・ヒレイ  ブリュンヒルデ:ニーナ・シュティンメ
グンター:トマス・レーマン   
ハーゲン:アルベルト・パッセンドルファー
アルベリヒ:ヨルダン・シャナハン グルトルーネ:アイレ・アスゾニ       
ワルトラウテ:オッカ・フォン・デア・ダムラウ・     
第1のノルン:アンナ・ラプコフスカヤ      
第2のノルン:カリス・タッカー     第3のノルン:アイレ・アスゾニ   
ウォークリンデ:ミーチョット・マレッロ 
ウエルグンデ:カリス・タッカー  フロースヒルデ:アンナ・ラプコフスカヤ

             (2021.10.17)

ノルンたちはスキンヘッド、どうでもいいけど、下着マンたちのひらひらはどうにかならんのか?(笑)
元気にピアノを弾くブリュンヒルデ。
ギービヒ家はリッチマンのおうち。
最初は普通の人だったハーゲン、夢に父親が現れてからジョーカー顔に変貌。
ラインの乙女もスキン化してしまうのか?
ラストシーンも下着衆ぞろぞろ、手のひらピラピラ鬱陶しい。

いやはや、やっぱり全部観てみたいww

聴衆の反応のyutubeもあり、歌手と指揮者にはブラボーの嵐。
演出家ご一行が出てくると、ブーが飛んでました。

でも、さすがはドイツ、コロナがまだ蔓延してるのに、リングをやってしまう。
そして、聴衆も演出はアレ?で批判しつつも、ワーグナーを求める心情止み難しで、演奏と音楽には大熱狂。
行かなかったけど、日本でも2年越しのマイスタージンガーが上演された。
世界中、やはり、ワーグナーがなければ生きていけないのだ。

    ーーーーーーーーーーーーーーーー

しかし、35年前に観劇した「トンネル・リング」が懐かしい。
同時期に、二期会による日本人リングも観劇していたが、そちらは新バイロイト風の抽象的な舞台だっただけに、具象的な動きで表現意欲も強かったトンネル・リングは当時の自分には驚異的ですらありました。
映像で親しんだ、シェローのリングや、クプファーのリングも、いまや懐かしの領域に。
いずれも現代の演出からしたら穏健の域にあるが、でもそのメッセージ力は、なんでもありのいまのものからしたら、ずっとずっと強かったと思う。



晩秋から初冬を抜かして、本物の冬がしっかりときました。

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2021年11月23日 (火)

ハイテインクを偲んで ⑥ オペラ



グラインドボーン音楽祭のTOPは、このように美しい追悼ページになりました。

ハイティンクは、ロンドンフィルの首席指揮者だったので、おのずとグライドボーンのピットにも入るようになりました。
初登場は、1972年で、「後宮からの誘拐」で、以来毎年指揮するようになり、1978年には音楽監督となり88年までの任期をつとめました。
アーカイブを調べてみたら、1972年から1994年まで、20のオペラを指揮してます。
古い順に、「後宮、魔笛、レイクス・プログレス、ペレアスとメリザンド、ドン・ジョヴァンニ、コジ・ファン・トウッテ、フィデリオ、ばらの騎士、真夏の夜の夢、3つのオレンジの恋、イドメネオ、フィガロの結婚、アラベラ、カルメン、アルバート・ヘリング、シモン・ボッカネグラ、椿姫、カプリッチョ、ファルスタッフ」
これらのなかで、録音や映像作品で残されたものの多数あります。

グラインドボーンで上演し、同じ夏にPlomsでもコンサート形式で取り上げる。
このようにして、コンサートばかり指揮していたハイティンクは、一気にオペラのレパートリーを拡充することとなりました。
実績を積みつつあったハイティンクは、1977年には、コヴェントガーデン・ロイヤルオペラハウスにも登場します。

この1977年には、KBEを拝命しました。



コヴェントガーデン、ロイヤル・オペラ・ハウスの追悼SNS。

1987年まで、コリン・デイヴィスが16年の長きにわたり音楽監督を務めたロイヤル・オペラは、後任探しに躍起になっていた頃、待てよ、近くにいるじゃないか、マエストロが!、ということでハイティンクに白羽の矢が立って即就任。
1987~2002年の15年間の音楽監督としての任期。
その前も1977年から通算で27のオペラを指揮しました。
2002年、退任時にはCH勲章(コンパニオン・オブ・オーナー)を受勲。

ROHのアーカイブを調べてみたら、ちょっと驚きの演目もあるし、バレエも指揮してました。
77年の「ドン・ジョヴァンニ、ローエングリン、仮面舞踏会、ドン・カルロ、ピーター・グライムズ、アラベラ、ばらの騎士、フィガロの結婚、パルジファル、ラインの黄金、トロヴァトーレ、ワルキューレ、イーゴリ公、ジークフリート、神々の黄昏、影のない女、利口な女狐の物語、ニュルンベルクのマイスタージンガー、カーチャカヴァノヴァ、シモン・ボッカネグラ、真夏の結婚(ティペット)、修道院での婚約(プロコフィエフ)、ファルスタッフ、トリスタンとイゾルデ、スペードの女王、イエヌーファ」
バレエとしては、ストラヴィンスキー3大バレエ、ロミオとジュリエット
あと、ヴェルディのレクイエム、戦争レクイエム

モーツァルトが主体だったグライドボーンから、ROHに移ってからは、ワーグナーやシュトラウス、ヴェルディを広く取り上げるようになり、重要なレパートリーとしていきました。
リングは個別に、年度ごとにとりあげ、その後、リングサイクルを3度やってます。
ワーグナーでは、タンホイザーを指揮してないのが面白いところ。

ハイティンクは、ロイヤル・オペラでの活動で、「オペラもコンサートもこなせる指揮者という、私の理想としてきた音楽家の姿にやっと到達できたと思います。」と発言してます。

①モーツァルト



伝統あるグライドボーンのブリテッシュモーツァルトを引き継いだハイティンク。
ドン・ジョヴァンニ(1984)、フィガロとコジ(1987)、魔笛(1981)の4作のほかに、イドメネオも映像ではありますが、正規録音はされませんでした。
魔笛はバイエルンで、ダ・ポンテ三部作はロンドン・フィル。
グライドボーンでは、魔笛を3年ほど取り上げてますが、コヴェントガーデンでは指揮してません。
魔笛は録音の前後に集中して上演してます。
オケの魅力、ドリームキャストということも手伝って、ハイティンクのモーツァルトといえば、魔笛ということになってます。
ふくよか音楽造りが、ここではよくマッチしてるし、清潔感あふれる魔笛です。

しかし、ほんとうはダ・ポンテ三部作の方が素晴らしいと思ったりもしてます。
端正にすぎる音楽づくりが、面白みに欠け、愉悦感がないとの指摘もたしかにありますが、そこにこそ、ハイティンクの生真面目さがあっていいんだと思うのです。
モーツァルトの描いた人間ドラマがこうした静かな、あまり多くを語らない演奏から浮かび上がって来る。
歌手も含めてドン・ジョヴァンニが一番優れている。
ザルツブルクでは、ベルリンフィルやウィーンフィルとも、モーツァルトのオペラを指揮しているので、それらの音源化も期待したいところ。

②ワーグナー



ハイティンクの初ワーグナー指揮は、1977年のコヴェントガーデンにおける「ローエングリン」で、タイトルロールはルネ・コロです。
そして、パルジファル、リング、マイスタージンガー、トリスタンと順次取り上げましたが、オランダ人とタンホイザーは、そのアーカイブには見つかりませんでした。
タンホイザーは、バイエルンで録音しているので、オランダ人以外はすべて指揮していたことになります。
コンセルトヘボウのアーカイブで調べてもオランダ人は序曲のみ。
オランダ人であるハイティンクが、世界を股にかけて活躍していながら、さまよえるオランダ人を指揮しなかった、というのもなんやら意味深ではあります。

録音として残された最大の成果は、バイエルン放送響とのリングでしょう。
先の、オーケストラもオペラもこなせる指揮者、という発言は、コヴェントガーデンでもリングを通し上演し、ミュンヘンでも黄昏の録音を終えた頃のものですので、やはりリングの演奏を成し遂げたということは、大きな最後の一歩だったということがわかります。

ハイティンクは、こうも言ってます。
録音したリングは、全部通して聴いて欲しいと。
そう、4作のうち、どれが優れているか、あそこがいまいちとかでなく、4部作通して、ひとつの巨大な作品として聴くことにハイティンクのリングの意義があると思います。
ストーリーテーラ的なドラマ重視の演奏ではありません。
レヴァインのようにライトモティーフをそれらしくシネマチックの引き立てる演奏でもない、ベームのような劇場の熱気を感じさせるような演奏でもない、大歌手時代の巨大な録音芸術であるショルテイの壮大な演奏でもありませんし、ましてブーレーズの知的で青白いけど熱い演奏でもない・・・
緻密で室内楽的なカラヤンともちょっと違うが、でもカラヤンの目指したものにも近いかもしれない。
 ハイティンクのリングは、4部作をひとつの作品として大づかみにして、4作を個々の関連性をもとに解釈し、ワーグナーの音楽を徹底的に忠実に、完璧に磨き上げ再現することを目指したものと思う。
その完璧さは、面白くなさもはらんでますが、ドラマテックな演奏なら他にもたくさんある。

ワーグナーの刺激的でない演奏の仕方で、全体音色の暖かさあり、こうして磨きあげられた音はともかく美しい。
高性能だが常に有機的な響きを失わないオーケストラがあってこそ引き出せたものだと思う。
変な言い方だが、ブルックナーやマーラーの長大な作品を念入りに演奏するのと同じようにリングを指揮した感じだ。
 デッカの向こうをはって、レーベルとしての威信をかけたEMIのプロジェクト。
ミュンヘンの録音スタッフを使ったことが功を奏し、録音も素晴らしいが、効果音までデッカの真似をすべきでなかったとも思う。
黄昏の録音の様子をハイティンクがインタビューで語るのを読んだことがあるが、まるまる3週間、ミュンヘンにとどまりオケ、歌手ともども、ほかの用事に駆り出されることもなく集中できたらしい。
同じオケ、歌手、スタッフでやることができて、4作品のお互いの連鎖がしっかり伝えることができた、とも語ってました。

久方ぶりに、通しで聴きましたが、流れのなかで歌手の凸凹も目だってしまうことも。
以前は気にならなかったけど、エヴァ・マルトンのブリュンヒルデをずっと聴くことが辛かった・・・・



ハイティンクのワーグナーの正規盤は、タンホイザー@BRSO(85)、マイスタージンガー@ROH(97)、パルジファル@チューリヒ(07)の3作。
それこそシンフォニックなスタジオ録音のタンホイザーは、リングと同質の演奏だと思うけど、上演のライブであるマイスタージンガーとパルジファルは、劇場空間において、ハイティンクが感興にあふれた自在な指揮を行うこともわかる秀逸な演奏。
マイスタージンガーでは、後半に向かうにつれ、音楽が熱くなり、聴衆の興奮も極度に高まってます。
パルジファルでは、淡々としたなかにも、誠実な音楽造りが深遠な音楽へと結びついていて感動的。
両作品とも、コヴェントガーデンで何度も取り上げてます。
さらにロイヤルオペラを2002年のトリスタンを最期に、退任後はオペラはもう指揮しないかも・・・とされながら、2007年に、再登場してパルジファルを指揮して、さらに同年のチューリヒでの同作の上演となりました。
さらに、同年には、パリでペレアスも上演してます。
パルジファルとペレアスを2007年に取り上げたハイティンク、作品の本質をも見抜いていたと思います。

コヴェントガーデンのアーカイブには、ローエングリンとかトリスタンはないものだろうか・・・・

③R・シュトラウス



R・シュトラウスのオペラは、正規では、ダフネ@BRSO(82)、アラベラ@グラインドボーン(84)、ばらの騎士@SKD(90)の3作。
シュトラウスのオーケストラ作品の指揮を極めたハイティンクは、オペラでもシュトラウスを取り上げました。

ハイティンクの指揮したシュトラウスは、これら3作のほか、「影のない女」と「カプリッチョ」があります。
こうしてみてみると、サロメとエレクトラは指揮しておりませんで、刺激的な作品でなく、品格あふれる作品を好んで取り上げたことがわかります。
透明感あふれる地中海サウンドには、ちょっと重心の低い演奏のダフネだけれど、明るい機能的なオーケストラをえて、充実しきったシュトラウスの緻密な筆致と美しさをしっかり確認させてくれる演奏。

カプリッチョも聴いてみたい。
「影のない女」ROH(92)は、海外ネット配信を録音することができた。
歌手も粒そろいで、ハイティンク向きの魔笛のような御伽噺的なオペラだけに、スケール豊かに、そして愛情たっぷりに聴かせてくれる。
ここでもライブゆえに、後半に向かうほど、音楽は熱くなり、最期の皇后のシーンは極めて感動的。

④ブリテン



グラインドボーンの指揮者を務めると、ブリテンのオペラもおのずと指揮することになります。
ハイティンクのブリテンもいずれも素晴らしかったし、清潔な音楽の作り方がブリテンの知的な作品にもぴったりだった。

真夏の夜の夢@グラインドボーン(81)、アルバート・ヘリング@グラインドボーン(85)、ピーター・グライムズ@ROH(92)の3作。
ほかのオペラは指揮していないようです。
3つとも作品ともに大好きなのですが、なかでも真夏の夜は、ピーター・ホールの描いたシェイクスピア的な世界に、ハイティンクの生真面目な音楽造りがとてもマッチしていて、ユーモアよりも幽玄さを感じさせる点でも、作品の幻想的な側面をよく捉えていて秀逸だと思います。
上質な笑いと皮肉の世界を描いたアルバート・ヘリング、シリアスな内容をシンフォニックに捉え、充実の間奏曲でもってつむいだピーター・グライムズ。

ブリテン以外にも、ハイティンクは近代オペラをかなり指揮してます。
ヤナーチェク、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ティペットなどなど。
もっと聴いてみたいですね。

⑤ヴェルディ



ヴェルディも生真面目なハイティンク向きのオペラだったと思います。
ただ、正規には、ファルスタッフ‘@グラインドボーン、ROH(88,99)、ドン・カルロ@ROH(85、96)の2作品のみ。
わたしは、ファルスタッフは未視聴で、ドン・カルロのCDのみ。
85年の映像作品は、何故か偶然、ジュネーヴのホテルのテレビで見ました。
ふたつのドン・カルロは、いずれも5幕版によるもので、情熱的な歌は少なめなれど、気品あふれる上質な音楽造りは安心して聴けるもの。
でも、ワーグナーとヴェルディは違う。
ここで、こうもっと・・・と思うシーンもある。
しかし、そこがまたハイティンクらしいところ、弦を中心に、低音をベースにした音たちの重なり合うオーケストラの充実ぶりがヴェルディにおいて味わえるのも楽しいものです。
歌手たちにイタリア系の人がいないのも、このドン・カルロをユニークなものにしてます。

まだ聴いてない、ファルスタッフを今後視聴する楽しみがある。
ハイティンクの指揮したヴェルディは、レクイエム、トロヴァトーレ、椿姫、シモン・ボッカネグラ、仮面舞踏会。
なかでも、シモンは録音したがっていたようです。

ハイティンクのイタリア・オペラ、ロッシーニは自分には合わないとしてましたし、ほかのベルカント系は取りあげなかぅた。
プッチーニも指揮することのなかったハイティンクですが、とても好きな作曲家だし、蝶々夫人だけは取り上げてみたいと発言しておりました。

     -------------------------

オペラのハイティンク、高評価を得ることが少なかったですが、残された音源たちは、丁寧に作られた音楽優先の聞き飽きない演奏ばかり。
まだ聴いてないものもありますが、今後も折りに触れ聴いていきたいものです。

1ヶ月も続けたハイティンクの追悼特集。
このへんで終わりにしたいと思います。



コンセルトヘボウには半旗とハイティンク追悼の幕。

わたしには、やはりハイティンクはコンセルトヘボウ。
コンセルトヘボウは、ハイティンクであります。

真摯な音楽家だったハイティンク、どんなに巨匠として尊敬されても、最期まで謙虚な音楽づくりに徹した芸術家でした。

あらためまして、ありがとうハイティンクさん。
その魂が永遠に安らかならんこと、お祈りいたします。

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2021年11月14日 (日)

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ドレスデン・シュターツカペレのホームページのハイティンク追悼サイト。

2001年1月のシノーポリの急逝を受けて、オーケストラからの熱いコールを受けて首席指揮者に就任。

このときのハイティンクの言動が、いかにもハイティンクらしい。

シノーポリが亡くなり、その年のコンサートの予定が一挙に指揮者不在のものとなってしまった。
楽団の指揮者・コンサート担当の長は、ハイティンクに書面でいくつかの演奏会の依頼をした。
ハイティンクは、オーケストラが大変なことに陥っていることを知り、長年の付き合いもあったので快く引き受けた。
そうしたら、もう少しお願いできませんか?という依頼がさらにきて、もう少しならということで引き受けて、それらの演奏会を終了した。
そのとき、オーケストラには父親が必要です、あなたになっていただけませんか?という依頼が今度はきた。
ハイティンクは父親というには、歳をとりすぎているお爺さんですよ、それでよかれば引き受けますよ、と謙虚に話した。
ただし、冠はいらないので、「指揮者」ということでお願いしますとハイティンクは念を押した。
しかし、最終的には「首席指揮者」となったんだ、と話している。
2~3年の任期で、オーケストラが次の首席指揮者を見つけるまで、という橋渡しとして、という言葉も残している。

こうした謙虚な姿勢が、各オーケストラから愛され、乞われる存在になったんだと思います。



  ブラームス   交響曲第1番

  ブルックナー  交響曲第6番

    (2002.9、2003.11、@ゼンパー・オーパー、ドレスデン)

ブラームスの1番が、ブラームス1番らしく聴かれた堂々たる演奏。
2006年にこのCDを開封して聴いて、すぐに記事にした自分のblogが懐かしい。
ブラームスもいいが、ウェーバーのオベロン序曲もロマンあふれる素晴らしさだ。

ブルックナーは8番もこのコンビは残してくれたが、ここでは、爽快でありながら、後期の作品へのそれこそ橋渡し以上の存在であることをわからせてくれる6番をあげたい。
バイエルン放送響を指揮した80年ごろのエアチェック音源が、この曲の良さをわからせてくれた明るい演奏でもあったように記憶する。

R・シュトラウスも残して欲しかったものです。
オペラでは、「ばらの騎士」と「フィデリオ」のふたつ。
ゼンパーオーパーでオケピットには立たなかったのでしょうか。
オケとオペラのアーカイブは調べられませんでした。



 2004年の来日公演で、ブルックナーの8番を聴くことができました。
このときのプログラムは、「ジュピター」と「英雄の生涯」、ウェーベルン「パッサカリア」とハイドン86番にブラームス1番。
そしてブルックナーでした。

当時はまだblogを始めてなかったので、そのときの備忘録から。

「演奏はもうまったくのすばらしさで、表現の言葉を知りません。
オーケストラのまろやかな響きに身を任せているとドイツの森に抱かれているかのような気持ちでした。
ことにホルンを始めとする金管はどんなに強奏しても、美しく鳴り響きます。
静寂のサントリーホールに響き渡るドイツの深遠な音をご想像ください。涙が出ました。
ハイティンクはオーケストラのメンバーが去った後も、聴衆のさかんな拍手にひとり何度か登場し、最後はスコアを閉じ、閉じたスコアを高く掲げました。
人柄がにじみ出た、実にいい光景でした。 感動です。」(2004年5月21日 サントリーホール)

ずっと心に残しておきたい、大切な体験でした。

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シカゴ交響楽団のホームページの追悼記事より

ハイティンクのシカゴ登場は、1976年で、そのときの曲目は、ショスタコーヴィチの4番!
ショスタコーヴィチの全集に取り掛かるころの、いかにもハイティンクらしい演目。
いらい、ずっと客演を続けていた。

ドレスデンのときと同じように、シカゴでも正規に音楽監督が決まるまでの中継ぎ的な存在として首席指揮者となりました。
バレンボイムがごたごたした感じで退任し、そのあとが決まらず、首席客演としてブーレーズが活躍。
そして2006年に、ハイティンクを首席に、ブーレーズを名誉指揮者として、次の音楽監督が決定するまでの間の暫定政権が決定。
音楽監督的な立場になると、オーケストラの運営面、指揮者選択など、指揮活動以外の多くの業務が課せられることを、コンセルトヘボウでさんざん体感してきたハイティンクは、ましてアメリカでのことなので、プリンシパルとして年に6~7週シカゴに行くという内容になりました。

それでも、このコンビはこれまた相性もよく、同じころに発足したオーケストラの独自レーベルからのCDがいずれも高音質・最高水準の演奏ということで絶賛続きでありました。
ワタクシも、ほぼ全部揃えました。
ブルックナー7番、マーラー1、2、3、6番、ショスタコーヴィチ4番、英雄の生涯、ダフニス。



  マーラー   交響曲第3番

      Ms:ミシェル・デ・ヤング

  ショスタコーヴィチ 交響曲第4番

     (2006.10、2007.10 @オーケストラホール、シカゴ)

このブログでもベタほめした2枚。
ともにオーケストラの超優秀さと、ハイティンクの悠揚たる巨視的な指揮。
101分たっぷり使ったマーラーは、少しもだれることなく隅々まで丁寧な仕上がりで、柔和なマーラーは3番のイメージにぴったり。
それと6番は、より剛毅な演奏である。

ショスタコの4番のハイティンクの再録音。
楽譜の忠実な再現ではあるが、そこは円熟のハイティンクと最強のシカゴで、音の彫りは深くなり、とりとめない構成が、立派な骨組みの大交響曲となって響く。
ハイティンクは4番が得意で、ベルリンフィルとのライブもCD化して欲しいと思う。



2009年に来日したハイティンクとシカゴ響。
マーラーの6番と、英雄の生涯のふたつの演奏会を聴きました。

演目は、ドレスデンの時と同じ「ジュピター」と「英雄の生涯」、ハイドン「時計」とブルックナー7番、そしてマーラー。
ショルティとシカゴのマーラー5番を文化会館で聴いたときもぶったまげましたが、このときのマーラーはもっとぶっ飛びました。
サントリーホールで、最前列のチェロの下、ハイティンクは斜め左にすぐの指揮台に。
詳細は、そのときのブログを確認ください。
チェロばっかりで、ほかの楽器がうまく聴こえないのではないかと不安でしたが、そんなことはまったくなく、見事にブレンドされた素晴らしいマーラーサウンドで、下から見上げると、ときおりオケを睥睨するハイテインクの眼力をも確認することができました。
圧倒的な音塊の連続とそのピラミッド感。細部が緻密なまでに完璧で、リズムの刻みが100人のメンバーの隅々にまで行き渡って完璧なまでに縦線がそろっている。じわじわと盛り上がりつつ、とてつもないクライマックスを築きあげる。
いったい、どこが最高潮のクライマックスなのだろうか? (ブログより)

ふっくらと柔和な、微笑みさえ覚えるような素敵なモーツァルト。
もっと、ゴリゴリした巨大な演奏になるかと思ったらまったく違った、清冽で清らかなジュピター。
年輪を重ねた音楽家の紡ぐ人生譚に、尊敬の念の眼差しを持ったシカゴの猛者たちが心服しつつ演奏しているのもわかった。
英雄の生涯もスペクトル感もありつつ、曲の後半訪れる人生の夕映えのようなシーンに感動がとまらなかった。
曲を終えて、静寂のなか、ハイティンクはさりげなくタクトを降ろし、指揮台に指揮棒を置いた。
そのコトリという音さえも、静寂のホールに響いた。

マーラーの6番は、アバドとルツェルン祝祭管で、人生最大級の感動を。
このハイテインクで、ずっと追い続けた演奏家の円熟の極み、そしてスーパーオケの力を。
聖響&神奈フィルで、震災翌日の異様なテンションのなかで・・・
いずれも壮絶な思いでとなる体験をしてます。
もう演奏会では聴かないかも・・・・・

シカゴ交響楽団は、演奏会アーカイブもしっかりしていて、そのいくつかはネットでも公開されてます。
いつかそこから正規音源が出ることも期待されます。

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バイエルン放送交響楽団もハイティンクと馴染み深いオーケストラでした。

コンセルトハボウと指揮者のつながりもあって、なんだか姉妹関係にあるように思ったりもしてます。
ヨッフムとヤンソンスはともに首席指揮者だったし、コリン・デイヴィスもコンセルトハボウをよく指揮してました。
ハイテインクがいつ頃からバイエルンを指揮し始めたか、記録がなくて今回はわかりませんでしたが、70年代初め頃だろうと思います。

上のほうでも書きましたが、バイエルン放送局ということもあり、その演奏会はよくNHKで放送されていたので、ハイティンクとのコンビはいくつか聴いた覚えもあるし、ブルックナーの6番もカセットテープで残ってます。



正規の録音は、1981年の「魔笛」が初(たぶん)で、グライドボーンでロンドンフィルとダ・ポンテ三部作をEMIに録音した後に「魔笛」ではバイエルンを起用したものです。
グライドボーンでもpromsでも「魔笛」は指揮してますので、LPOやコヴェントガーデンでなかったのは、綺羅星のスター歌手を集めやすかったのがミュンヘンだったということもあるんでしょう。
結果は上々、ハイティンクのつくりだす、ふくよかなモーツァルトは、オーケストラの暖かな音色も加えて上質の魔笛となりました。
バイエルンとは、このあとオペラの録音が続きまして、「ダフネ」(82年)、「タンホイザー」(85年)、「ニーベルングの指環」(88~91)という、いまとなっては貴重な成果が残されました。
EMIには、もっと頑張ってもらって、ワーグナーとシュトラウスのほかの諸オペラを録音して欲しかったものです。



  ブラームス アルト・ラプソディ、埋葬の歌
        運命の女神の歌、哀悼の歌

    A:アルフレータ・ホジソン

      バイエルン放送合唱団

           (1981.11 @ヘラクレスザール、ミュンヘン)

  ベートーヴェン 交響曲第9番

    S:サリー・マシューズ Ms:ゲルヒルト・ロンベルガー
    T:マーク・パドモア  Br:ジェラルド・フィンリー

      バイエルン放送合唱団

         (2019.2.23 @ガスタイクホール、ミュンヘン)

ハイティンクとバイエルン、初期の録音、ブラームスの声楽作品集は、その渋いこと渋いこと。
いぶし銀の音楽であり、その演奏は、まろやかな円熟味をおびた心に優しく響く演奏。
ボストン響との再録音もあり、そちらと聴き比べるのもよい。
しかし、哀しくもなる、儚くもなる、しんみりしてしまうほどに沁みる。。。。

指揮者引退の年の第9。
ゆったりとしたテンポを取りつつも、大きな歩みで風格ただよう名演。
ソロも素晴らしく、彼らも合唱もオケも、動きの少ないハイテインクの指揮棒と眼差しに集中している(映像で視聴済み)。
3楽章の澄み切った演奏には泣ける。
終楽章、なにも華やかでなく、淡々としつつも堂々たる終結。
拍手は起こらない。
こんな静寂の第9のエンディングがあるとは。



観客はスタンディングオベーションでハイテインクを讃える。
このあと2019年4月にルツェルンで、ブルックナーの6番を指揮して、バイエルン放送響とはお別れということになりました。



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ロンドン交響楽団との共演はそんなに昔でなく、1989年。

ブラームスやベートーヴェンのチクルスを演奏会で行い、同時に自社LSOレーベルからも次々に発売し、ハイティンクがロンドンに居宅を構えるのも幸いして、急速に親密になっていきました。
もともとロンドン・フィルと長く関係を築き上げましたが、ロンドン響とも強く結びつきました。

ちなみに、ハイテインクはpromsには、1966年にデビューしてますが、そのときの曲目がブルックナーの7番、オーケストラはBBC交響楽団です。
以来、毎年のように招かれ、ときにコンセルトハボウやウィーンフィル、ヨーロッパ室内管などと客演してますが、ロンドンのオーケストラとは、先のBBC、ロンドンフィル、フィルハーモニア、コヴェントガーデン、ずっとあとにロンドン響という具合に、ロイヤルフィル以外は全部指揮しております。

残念ながらLSOレーベルのハイティンクのCDは、ブラームスの一部しかもってません。
なぜかって、理由はありませんが、CD購入欲が低迷していた時期だからだと思います。



   ブラームス 交響曲第1番、2番

     (2003.5 @バービカン、ロンドン)

ハイティンク3度目のブラームス全集。
しかしながら、1番と2番しかもってません。
ここに聴く演奏は、若々しさと、一筆書きのような自在さと柔軟さ。
ライブならではの勢いもあって、あの落ち着き払っていた渋めのボストン響との演奏よりも力強い。
きっと、ベートーヴェンのその延長にあるような同時期の録音だと思います。
 LSOとは、ほかにブルックナー4番、9番、アルプス交響曲などがありますので、これからゆっくり聴いていきたいと思います。
2015年のこのコンビの来日も、行こうと思いつつも行けなかった・・・・

ネットでは、ロンドン響のアーカイブがたくさん公開されてます。
手持ちの音源は、マーラーの3,4,9番、ブルックナー4番(2種)、ショスタコ8番などがあります。

引退の年の2019年3月、ハイティンク90歳の記念演奏会も録音できました。
プログラムは、フェルナーのピアノでモーツァルトの22番と、ブルックナー4番。
1965年のコンセルトハボウとの録音から54年という半世紀超。
年月の積み重ねは、演奏時間では一面的ですが、63分から73分という長さにも見て取れるが、老成することの美しさも感じるし、2019年の一連の演奏の数々は、引退を決意したハイティンクの夕映えのような静かな美しさもあるように思う。

2019.2月 BRSO 第9、3月 LSO ブルックナー4番、4月 BRSO ブルックナー6番
5月 BPO ブルックナー7番、6月 オランダ放送フィル ブルックナー7番
8月30日ザルツブルク、9月6日Ploms、9月6日ルツェルン、VPO ブルックナー7番
もう少しあるかもしれませんが、2019年のハイティンクです。



ロンドン響との最後の演奏会。

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長い企画となりました、オペラ編を最後に残して、他の共演オーケストラを端折って書きます。

・オランダ放送フィルハーモニー

  ハイテインクの指揮デビューと初ポストのオケ
  ファウストの劫罰が突如発売され驚いたものだ
  面白味は少ないが、真摯なベルリオーズが聴ける。
  引退の年、こちらにも客演してブルックナー7番を指揮  

・フィルハーモニア管弦楽団

  エルガーの2曲と、ウォルトンの交響曲第1番
  アシュケナージとのラフマニの一部

・フランス国立管弦楽団

  最初はパリ管、そのあとはフランス国立菅を多く指揮するようになりました
  マーラーの5番、6番のCD。
  ネットでも動画含めたくさんあります。

・ニューヨーク・フィルハーモニック

  正規音源はありませんが、1976年から2016年まで32回客演。
  いまは有料化してしまいましたが、フリーで解放していたライブ音源。
  マーラー9番とドンキホーテを録音できました。
  2016年のそのマーラーがなかなかのものです。
  コンセルトハボウともに、マーラーと所縁のあるNYPO
  こちらも正規音源化を期待

・ECユースオケ、ヨーロッパ室内管、ルツェルン祝祭管、モーツァルト管

  クラウディオ・アバドの創設した若いオケだったり、スーパーオケ。
  アバドとともに支え、またアバド亡きあとを支え、
  楽団を救ったのがハイティンク。
  いつも世界のオーケストラの急場を救うハイティンクでした。
  人柄ですね。



  所蔵音源としては、ヨーロッパ室内管とのブラームス4番
  ファウストとベルクのヴァイオリン協奏曲。
  あとなんたって、ルツェルンとのブルックナー8番はお宝です。



2019年9月6日、ウィーンフィルとのルツェルンでの最後の演奏会。

あと1稿、ハイティンク追悼、オペラ編で終わります。

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2021年11月10日 (水)

ハイティンクを偲んで ④ VPO、BPO、BSO



ハイティンク最後の指揮は、2019年9月6日。
ルツェルン音楽祭で、ウィーンフィルとベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(アックス)とブルックナーの7番。

ウィーンフィルとの付き合いも長く、1972年2月が初回で、そのときもメインはブルックナーの5番。
ウィーンフィルのアーカイブを見ると、ハイティンクは111回のコンサートを指揮しております。

ウィーンフィルのもつ柔らかい暖色系の音色は、コンセルトヘボウで育ったふくよかハイティンクの音楽造りと相性は抜群だった。

このコンビの初録音は、幻想交響曲で、こちらは1979年4月のデッカへの録音でアナログ末期。



オーケストラの個性を優先し、そこに乗りつつも、重心の低いがっちりした枠組をつくりあげ、柔らかな弦主体の歌心をその上に載せる。
そんなハイティンクの個性が、優美なウィーンフィルと見事に結びついた「幻想」。
ウィンナワルツのような2楽章、ウィーンの管の音色の素晴らしさ満載で、かつ弦楽器の延々と続く伸びやかな歌が素適な3楽章が、時を重ねた自分にはしっくりくる音楽と感じる。



  ブラームス ドイツ・レクイエム

    S:グンドゥラ・ヤノヴィッツ

    Br:トム・クラウセ

       (1980.3 @ムジークフェライン)

これぞ、ハイティンクの追悼に、そして、ハイティンクとウィーンフィルのコンビの美点がたくさんつまった演奏。
同じウィーンフィルでもカラヤンの何度目かの演奏などは、耽美的にすぎて怖いものがあるが、ハイティンクの指揮は美的な造形などには目もくれずに、ブラームスの音楽そのものをじっくり、純音楽的に
音にしてみせた。
そこに構えの大きさと、指揮者とオーケストラ相互の信頼感も加わり、なんとも大人の演奏に感じる。
オーケストラと合唱のバランスと音の溶けあいもすばらしく、オペラでも場を重ねた成果が出ているんだと思う。
2枚組のレコードで発売されたとき、「運命の歌」とカップリングされていたが、CD化ではそれがなくて、聴いてみたいと思ってる。
このレコードは、評論家諸氏に絶賛され、このあたりからハイティンクの評価が高まったが、ワタクシは違いますぜ、とあの頃ずっと思ってた。



  ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」

       (1985.2 @ムジークフェライン)

ウィーンフィルとのブルックナー全曲録音に挑んだハイティンク。
最初は4番で、ベームに続いて、4番をウィーンフィルの音色で聴ける幸せを味わったものだ。
コンセルトハボウとの若き日の演奏と比べたら、ゆったりとした大河のごとく、大らかな演奏となっていて、曲の最大公約数的なものもぃsつかりつかんでいて、安定感抜群。
厳しさや、透徹感は弱めだけれど、ムジークフェラインで聴くがごとく、自分の部屋でゆったりと、橙色に暮れていく夕空を見ながら聴くと遥かなるヨーロッパが見えてくる・・・・
 ハイティンクとウィーンフィルのブルックナーは、3,4,5,8番で打ち止めとなりました。
ベルリンフィルとのマーラーも同じ憂き目にあい、その後、フィリップスレーベルはユニバーサルミュージックの一部となり、やがてデッカ傘下となって、レーベルも終了してしまった・・・・・

ハイティンクのフィリップスレーベルへの録音のジャケットにデッカマークは似合いません・・・・・
今後は、ウィーンフィルのライブ音源の掘り起こしに期待。

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ウィーンと同様、ベルリンフィルでも長く指揮台に招かれ続けたのがハイティンク。
ウィーンよりも早く、1964年にデビューし、ウィーンフィル以上の200回以上のコンサートを指揮してます。
ウィーンフィルとブルックナーの7番を最後に指揮したように、ベルリンフィルとも2019年5月に同じ曲を指揮しまして、これがベルリンフィルとの最後の演奏会。

カラヤンが他の指揮者の客演も監視してたし(たぶん)、録音なんてできなかったし、レーベルの垣根もあった。
ゆえに、ハイティンクとベルリンフィルの録音はずっと後になって実現し、1987年から始まったマーラーチクルスで、1番が最初。
喜び勇んで即購入し、まず、フィリップス録音で聴く鮮やかな音に驚いたものだ。
DGが、マスとしての音塊をまずとらえるような音だったの対し、フィリップスは音の広がりを巧みに捉えたもので、ともにフィルハーモニーザールの見事な音響を再現したものと感じた。
そして、ハイティンクの指揮の意外なほどの若々しさは、同時期のアバドの手垢のつかない無垢なマーラーとも違う大人の演奏にも感じ、変なたとえだけど、色でいえば、「青」、ブルーを感じたものだ。
いま、聴きなおしても、そうしたイメージは変わらない。



  マーラー 交響曲第1番「巨人」、第5番

      (1987.4、88.5 @フィルハーモニー)

5番の音楽としての素晴らしさをこの演奏で体感しました。
同時にオーケストラの優秀さと、ハイティンクの指揮へのリスペクトも強く感じる演奏。

1989年7月にカラヤンは亡くなり、その年の10月に、オーケストラ楽員による芸術監督選抜の総選挙がありました。
以前、アバド追悼の記事で詳細を書きましたので、抜粋して引用します。

予備選で選択された指揮者が13人
 「アバド、バレンボイム、バーンスタイン、ハイティンク、ヤンソンス
     クライバー、
クーベリック、レヴァイン、メータ、ムーティ
   小澤、ラトル」
(abc順)

・13人を8人に絞り込む投票を行う。
 「バーンスタイン、ハイティンク、クライバー、レヴァイン
   マゼール、ムーティ、メータ、ラトル」


  この時点で、アバドはもれています・・・・

・受諾の意思なしの「バーンスタイン、クライバー、メータ」除外

辞退者が出た場合は、最初の選出者を再度交えて投票とのルール!
 この10人の指揮者に対して、楽員たちが、その思うところを、推薦演説。

・再度の投票で選択された6人
 「アバド、ハイティンク、レヴァイン、マゼール、ムーティ、ラトル」
 ここで、いままで後手に回っていた、アバドを押す声が次々に高まる。

・2回目選出投票で3人
 「アバド、ハイティンク、マゼール」

・3回目選出投票で2人
 「アバド、ハイティンク」

・最終投票→打診→OK 「アバド」に決定

こうして、ハイティンクはカラヤンのあとのベルリンフィルの指揮者になる最終候補者でした。
アバドもハイティンクも大好きな指揮者だったので、わたしにとっては結果オーライ。
これほどまでに、ハイティンクは楽員から大きく評価され、愛されていました。

ちなみに、ベルリンフィルの指揮者が決まったその翌月、1989年11月9日には、ベルリンの壁が崩壊しました。
日本でも、この年は昭和天皇が崩御され、平成が始まり、ついでに消費税も始まった年でした。
ついでに、わたしも結婚した年で、初の欧州旅行にまいりした。
世界も日本も、自分もターニングポイントの年です。



 ハイティンクは、その後、ベルリンフィルの名誉団員となりました。
しかし、ベルリンフィルとのマーラーは、1993年の「復活」を最後に、1~7番までで途絶えることとなりました。
ウィーンフィルの稿でも書いたとおりです。

このコンビは、あとはストラヴィンスキーの3大バレエ(未聴)と、EMIへの「青髭公の城」、自主レーベルでの、ブルックナー4,5番、マーラー9番、映像でのヨーロッパコンサートなどになります。
こちらも、ふんだんにあるアーカイブから正規音源化を期待しておきます。

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ボストン交響楽団の追悼SNS。
ネルソンスの哀悼の言葉もつづられていました。

ボストン響への登場は1971年2月で、メインは「英雄の生涯」。
2018年5月の客演(ブラームス2番まで、289回も指揮台に立ってます。
1995年からは首席客演指揮者、2004年には名誉指揮者となりました。

コンセルトヘボウとロンドンフィルを除くと、一番結びつきの強いオーケストラだったといえます。
ヨーロッパのオケに近い音色を持ち、RCAレーベル専属から脱し、DGやフィリップスが録音を始めたことあたりも、ハイティンクが常連指揮者になっていった要員だと思います。
さらに小澤征爾にはない、ドイツ的なものも求められたのではないかと。

しかしながら、正規録音が少ないのが残念です。
ブラームスの交響曲とピアノ協奏曲、ラヴェルの管弦楽曲集のふたつの全集しかないものですから。
R・シュトラウスやチャイコフスキー、ドビュッシーも録音して欲しかったものです。
とかいいながら、そのラヴェルはまだ全部聴けてませんので、今後の自分のお楽しみです。



  ブラームス 交響曲第4番

     (1992.4 @ボストン・シンフォニーホール)

馥郁たる、香り高いブラームス全集(90~94年録音)となったなかでも、落ち着いた古雅な雰囲気に満ち満ちている4番の演奏が好き。
ボストン響の響きと、各奏者たちのソロにおける腕前など、コンセルトハボウとはまた違ったオーケストラの個性を引き出していると思う。
ついでにまたもやここで、フィリップスのボストンシンフォニーホールの音を的確にとらえた録音の素晴らしさも讃えたい。
ウィーン、ベルリン、ボストンと録音にも恵まれたハイティンクの名盤たち、これからも大切に聴いていきたいし、まだ聴いてない音源を集める楽しみも残されてます。



長い企画となってしまいましたハイティンク追悼シリーズ。

いかに世界のオーケストラに愛されていたか、あと数回書きますので、しばしおつきあいください。

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2021年11月 3日 (水)

ベルナルト・ハイティンクを偲んで ③ LPO



ハイティンクは、コンセルトヘボウと兼務して、1967年から1979年まで、ロンドン・フィルハーモニーの首席指揮者をつとめました。
ロンドンのオケのなかで、一番オペラを演奏していたロンドンフィルが、オケピットにはいるグライドボーン音楽祭の音楽監督を、それと並行するように、1977年から1988年まで掛け持ちましたので、ロンドンフィルとの蜜月は1988年までと言えるでしょう。

ビーチャムが創設し、ボールト、スタインバーグ、プリッチャードと経てきた、この英国的なノーブルなオーケストラを、オランダ出身のハイティンクが受け継ぎ、フィリップスレーベルへの録音も本格化した。
コンセルトヘボウでのレパートリーをそのままロンドンフィルでも演奏し、レコーディングでは、本格交響曲をコンセルトヘボウで、管弦楽曲をロンドンフィルで、というような振り分けだった。
しかし、ロンドンフィルとの関係も密になるにつけ、コンサートと並行して、交響曲、そしてグライドボーンでのオペラを録音するようになり、そのレパートリーも格段に広くなった。

アムステルダムとロンドンを往復するハイティンク、たしかレコ芸の記事だったか、ハイティンクの二都物語とされるようになりました。

ロンドンのオーケストラは、英国音楽ファンでもあるので、いずれも好きですが、ロンドンフィルはハイティンクのおかげもあって、一時、一番好きなロンドンオケでありました。
実際、ハイティンク時代がこのオーケストラの黄金期かと思います。
70年代後半、このオーケストラは、各レーベルでひっぱりだこで、ヨッフム、のちに首席となるショルティとテンシュテット、ジュリーニ、ロストロポーヴィチ、サヴァリッシュらとたくさんの録音を残してます。
コンセルトヘボウと同じくらいにロンドンフィルを愛したハイティンクの思い出の音源を以下羅列します。



  リスト 交響詩 全集

    (1969~71年 @ロンドン)

レコード時代に「前奏曲」の入った1枚を、CD時代にはWシリーズの2巻、すなわち4枚のCDにわたるリストの交響詩全曲の初録音です。
ブルックナーやマーラーの全曲録音をしつつ、リストの全集なんて、誰も手掛けなかったことをなしたハイティンク、そしてフィリップスレーベルのすごさ。
コンセルトヘボウでも聴いてみたかった感はありますが、ロンドンフィルのいくぶん、くすんだ響きが実に効果的に機能している。
有名な交響詩以外も、この演奏で聴くと、どこかで聴いたような懐かしさを覚える。
リストの曲って、ワーグナーとブルックナーの要素が満載なので、そんな気分になるのだろうか。
シンフォニックな硬いくらいの演奏で、しかも曲も演奏も渋いこと極まりないが、これがハイティンクとロンドンフィルの最初の頃の個性だったのかも。
大向こうをうならせるような仕掛けや、演出は一切なしで、楽譜の再現のみをそっけないくらいに高水準の演奏でもってやってみた感じ。
しかし、何度聴いても、覚えきれないリストの交響詩であります。
 ブレンデルとのピアノ協奏曲も、交響詩の余勢をかって録音されました。これも名演。
フィリップスレーベルのロンドンでの録音も重厚かつ明晰でよい。



   ホルスト 組曲「惑星」

         (1970.3 @ウェンブリー、タウンホール ロンドン)

     R・コルサコフ 交響組曲「シェヘラザード」

        Vn:ロドニー・フレンド

       (1972.1 @ウォルサムストウ、ロンドン)

管弦楽曲の名曲ふたつ。

ロンドンフィルの十八番に乗ったかたちで、ハイティンクの惑星。
オーケストラピースとしての面白さゼロ、惑星ブームは、こののちにメータの録音でやってくるが、その前のハイティンクは重厚な造りで、格調高く、紳士的な英国音楽としての尊厳を持って指揮しているようだ。
惑星ごとの標題的な演奏ぶりでないので、木星のあの有名になったフレーズもいがいにあっさり。
火星の攻撃性も少なめだけど、オルガンがどっしりとなるのは、このハイティンク盤が随一かも。
そして、歳を経て、金星の抒情の煌めき、土星の憂鬱さと暗澹さのなかにある深刻さ、このあたりがハイテインク盤は実にいいと思うようになった。

シェエラザード、こちらもストーリーテラー的な面白い、絢爛豪華な演奏じゃない。(過去blogより転載)
誠実に譜面どおりに音楽を再現してみせた結果が、落ち着いたたたずまいの、ノーブルかつ渋めの「シェエラザード」となりました。
ことに、第3曲「若い王子と王女」は、ロンドンフィルの弦の美しい響きをあらためて体感できる。
このときのコンサートマスター、ロドニー・フレンドのソロが、しとやかかつ繊細で美しいヴァイオリンを聴かせます。
フレンドさんは、のちにニューヨークフィルのコンサートマスターに引き抜かれますが、ロンドンフィルの黄金時代は、このフレンドがいたハイティンクの頃だと確信してます。

コンセルトヘボウでも聴きたかった「惑星」と「シェエラザード」



  ストラヴィンスキー 三大バレエ

     (1973 @ウォルサムストウ、ロンドン)

ハイティンクとロンドン・フィルの評価を確定付けた録音が、ストラヴィンスキーの3大バレエ。

ハイティンクの「ストラヴィンスキー三大バレエ」は、90年頃の、ベルリンフィルとのものは実は未聴。
レパートリーが広く、どんな曲でも器用にこなすことができるハイティンクにとって、ストラヴィンスキーは、若い時から、お手の物で、コンセルトヘボウでも、30代の若き「火の鳥」の組曲版が残されてます。
当時の手兵のひとつロンドンフィルとも絆が深くなり、こちらの演奏は、思わぬほどの若々しさと俊敏さにあふれ、ダイナミックで、表現力の幅が大きく、それでいて仕上がりの美しい、完璧な演奏になってます。
LPOのノーブルなサウンドは、コンセルトヘボウと同質な厚みと暖かさを持っていて、ハイティンクとの幸せなコンビの絶頂期と思わせます。
全体の色調は、渋色の暖色系。
品がよすぎると言われるかもしれないが、ハルサイなんて、暴れるとこは適度に荒れていて、リズム感も抜群であります。

英国・蘭国紳士がじっくりと誠実にハルサイに取組み、一筆書きのように見事な書体で聴くものをうならせてくれる演奏。
この演奏はマジで素晴らしいと思う!(過去記事より)



  エルガー エニグマ変奏曲

    (1973.5 @ロンドンたぶんウォルサムストウ)
    (1986.8   @ロイヤル・アルバートホール

こちらも、オケの十八番の作品。
44歳のハイティンクと57歳のハイティンク。
演奏時間も、30分と32分で、この差は恰幅のよさと、丁寧な歌いまわしの差に出ています。
旧盤は、コンセルトヘボウでとの「ドン・ファン」とのカップリングで、これが出た時、レコ芸では、ふたつのオケを振り分けた、ハイティンクの頭の良さが云々というような妙な評論でした。
むろん、推薦盤にはならず、準推薦で、手放しの評価でなかったです。
CD化されたときは、「英雄の生涯」との組み合わせで、こちらの方が曲のイメージにあった選曲だし、CDならではできたことですね。
ふたつのエニグマ、どちらも好きです。
より渋いのは旧盤のほうで、各変奏曲を特徴づけたり、イメージを際立たせることなく淡々としてますが、全体感で見て味わうと、一陣の風が爽やかに吹き抜けるような爽快な演奏に感じます。
新盤は、冒頭のテーマからして、よく歌わせていて、そっけない旧盤との違いは歴然で、ニムロッドのじわじわ感も新盤の方に軍配があがります。
でもホールの違いか、新盤の方が音が明るく、くすんだ雰囲気の旧盤の方も捨てがたい魅力を感じます。



  ベートーヴェン 交響曲全集

     (1974~76 @ワトフォード、タウンホール)

          ピアノ協奏曲全集

       Pf:アルフレート・ブレンデル

     (1975~77 @ウォルサムストウ)

そして出ました、ハイティンクとロンドン・フィルのひとつの完成形ともいえるベートーヴェン。
協奏曲も含めたベートーヴェンチクルスを演奏会で取り上げつつ録音。
ブレンデルのピアノともどもに、同質化した、いぶし銀的なベートーヴェン。
たっぷりとしたオーケストラの鳴らし方、コンセルトヘボウにも負けていない豊かさが、ロンドン・フィルにもあり、隅々までよく響いているし、音の立派さに圧倒される。
中庸の美も、ここに極まれりの感あり。
奇数番号も偶数も、どちらも自然で、ベートーヴェン演奏の理想的なものではないかと思うし、なによりも安心して聴ける。
コンセルトハボウとの再録とともに、大切なロンドン・フィル盤。
アラウ、ブレンデル、ペライア、シフと4人のピアニストたちとベートーヴェンを録音したハイティンク。
ほかのピアニストとの演奏、全部は聴いてませんが、交響曲の演奏と同じように堂々としつつ、リリシズムにもあふれたブレンデル盤が一番好き。



  メンデルスゾーン 交響曲第1、3、4、5番

       (1978~79 @ロンドン)

シャイーの2番「賛歌」以外のメンデルスゾーンを担当することとなったハイティンク。
これら4曲が、シャイーの勢いと早春賦が青臭く感じられてしまうほどだった大人の落ち着きあるメンデルスゾーンとなったハイティンク盤。
これらのメンデルスゾーンは、コンセルトヘボウじゃなくて、ロンドン・フィルであったことが、当時あたりまえに感じられたし、聴く側もロンドン・フィルであることを納得して聴いたものだった。
若々しい情熱ある1番、まさに、スコッチのいぶし銀3番、すこしもイタリアンじゃない堂々とした4番、ロマンとゴシック感あふれる正統派的、清らかな5番。
サヴァリッシュ、アバド、ともにメンデルスゾーンはイギリスのオーケストラだった。




  ショスタコーヴィチ 交響曲第1~4番、7、9、10、15番

そして、ショスタコーヴィチの交響曲全集を目指して最初の相手はロンドン・フィル。
LPOとは、1977年から1981年まで、その81年からはコンセルトヘボウにシフト。

シンフォニストとしてのショスタコーヴィチ、最初はマーラーの延長のようにして、ハイティンクの10番や4番、15番を聴いたものだ。
譜面の忠実な再現にこだわるという点で、最初はロンドン・フィルのニュートラルな音色がハイティンクのショスタコーヴィチには、結果的には必要だったのかも。
79年録音の7番「レニングラード」あたりからアクセルがかかり、あの1楽章の行進曲のような繰り返しが、ちっともこけおどし風にならず、堂々たる音楽となっていて、聴いた当時、しびれるような快感を覚えたものだ。
デジタル期に入っての1番と9番の、ふたつの小型シンフォニーでも、構えの大きな隙のない完璧な音楽づくりに、ショスタコーヴィチの若書きの作品が大人の作品に、諧謔の第9が8番と10番の間にある作品であって、強い意志を持った音楽であることを、それぞれに感じさせる演奏になった。
コンセルトハボウにチェンジしてからのハイティンクのショスタコーヴィチは、シリアスな作品が残されただけあって、オケの重厚さと濃密さが生かされた演奏になることとなった。
 あと、デッカでの録音はキングスウェイホールとなり、フィリップスレーベルの渋いサウンドから、ちょっと明るめのサウンドに変わった。



  ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲全集

    (1984~2000 @アビーロードスタジオほか)

円熟のハイティンクにうってつけと思ってたV・ウィリアムズ。
今度はEMIレーベルに16年の年月をかけて録音してくれました。
もちろん、オーケストラはロンドン・フィル。
録音順は、最初は「南極」や「ロンドン」「海」など、標題的な交響曲から始まり、やがてRVWならではの、抒情と幽玄さあふれる作品や、不協和音の横溢する戦時を意識した作品、そしてペンタトニックなムードあふれる曲をとりあげ、ついに多彩な交響曲9曲を完成させました。
弦主体に重厚な音の重なり合い、そこにふくよかな響きと、指揮者とオケの持ち味である渋い色調をのせた理想的なRVW。
今回、抒情的な3番(パストラル)と5番を聴いて、じんわりと感動が高まり、ハイティンクがもうこの世にいないと思ったら泣けてきた。

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  モーツァルト ダ・ポンテ三部作(1984~87録音)

グライドボーン音楽祭の音楽監督に並行して就任したハイティンクは、これまでのオペラ経験の不足を一気に解消すべく、ここで幅広いレパートリーをこなして、急速にオペラ指揮者としても大きな存在となりました。
その中核はモーツァルトで、3部作と魔笛は繰り返し取り上げ、同時にPromsでも何度もコンサート形式で上演。
EMIに録音したこれらの演奏は、伝統あるブリティッシュ・モーツァルトの典型で、品格と劇性と笑いのバランスのとれた安定感あるものです。
未CD化のモーツァルト序曲集、映像でも多くあるロンドンフィルとのオペラ。
ハイティンク追悼特集の最後、オペラのハイティンクで取り上げたいと思います。


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2021年10月27日 (水)

ベルナルト・ハイティンクを偲んで ② RCO



コンセルトヘボウのハイティンク追悼のTwitter記事。

最初はヨッフムのフォローを受けつつも、27年におよぶ蜜月を築いた名コンビ。

交響曲編では、全集づくりを安定的にまかせられる、レコード会社としても、ありがたい稀有な存在としてのハイティンクを書きました。

管弦楽作品では、このコンビならでは個性が、協奏曲分野では、ソリストたちの絶大な信頼を得てました。


        (画像はいずれも拾い物です)

 シューベルト   「ロザムンデ」

 メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」

    A:アーフェ・フェイネス(シューベルト) 1965年

           S:ラーエ・ウッドランド 

    Ms:ヘレン・ワッツ(メンデルスゾーン) 1964年

60年代のふたつの名演。
単独での再発を予想しますが、年代を考えると録音が実によくて、ここでも安定のコンセルトヘボウ・フィリップスサウンドが聴ける。
同質性のある、ふたつの音楽。
ともに、馥郁たるロマン派の音楽の忠実な再現であります。
重厚に過ぎる面もありますが、それ以上に、いまではとうてい味わえないセピアカラーのヨーロピアンサウンドが味わえます。



  ワーグナー 管弦楽曲集

     (1974年 @コンセルトヘボウ)

10分の前奏曲に真っ向から勝負して、ひと時たりとも気の抜けたような音がなく、また神秘性も、官能も、祝祭性、崇高さも・・・
みんなありません。
楽譜がそのまま音になった感じ。
それがコンセルトヘボウという美しい織物のような摘んだ響きのオーケストラなものだから、ホールの音色と相まって、独特のユニークなワーグナーになっている。(過去の自分のblogから)
まだオペラをあまり指揮していなかった頃の録音、このあとオペラ指揮者として、急速に経験を積んでいくが、のちの数々のワーグナー録音の萌芽をここに感じます。
マイスタージンガーとトリスタンは、ここではとりわけ素晴らしい。
さらにレコード発売時、レコ芸で評価95点を得た録音がまた素晴らしい。



   ドビュッシー 管弦楽曲集

      (1976~1979 @コンセルトヘボウ)

   ラヴェル     管弦楽曲集

     (1971~1976  @コンセルトヘボウ)

ハイティンクはドビュッシーとラヴェル、ふたりのフランス人音楽を得意にして、若き日々から晩年までずっと指揮し続けました。
最初に出た、「海」と「牧神の午後」、すり減るほどに聴きました。
柔らかく、ふっくらとした音楽造りに、オーケストラのシルキーな音色、それとフィリップスの豊穣なる素晴らしき録音。
これらが相まって、フランドル調の、いくぶんくすんだ渋いドビュッシーで、ともかく美しい。
絹織の音色たちは、このコンビにしか紡ぎだせないものだった。
「夜想曲」も「映像」もいずれも素晴らしく、ジャケットも素敵なものでした。

そしてラヴェル。
61年にも録音していて、そのうちの「パヴァーヌ」は①で取り上げたアンソロジー集に入ってました。
この旧盤の復刻も期待したい。
ドビュッシーではもう少しくすんだヨーロピアン・セピアトーンを聴かせるが、ラヴェルでは、オランダのカラーとしてイメージされるオレンジ色風の明るさも加えて、落ち着きとあでやかさのバランスの兼ね合いがとても素晴らしく聴こえます。(自身のblogより転載)
小品におけるしゃれっ気も素敵で、重厚なイメージのあるこのコンビの軽やかな一面もうかがわせます。
なんども録音した、ダフニスの全曲が、コンセルトヘボウで残さなかったのが残念ですが、この曲集で自分がことさら好きなのは、「クープランの墓」と「優雅な円舞曲」「マ・メールロア」でございます。



 R・シュトラウス 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」
           交響詩「死と変容」
           アルプス交響曲

   (1973.4 、1981.12、1985.1 @コンセルトヘボウ)

70年録音の「英雄の生涯」もよい演奏で、思わぬ落ち着きと、恰幅のよさに驚く。
英雄の生涯は、ハイティンクがずっと指揮し続けた曲のひとつで、ロンドンフィルとシカゴとでも録音を残し、私もシカゴとの来演で聴きました。
でも、コンセルトヘボウでブルックナーのように再録音して欲しかった。
73年のツァラトゥストラは、あの当時、メータやカラヤンが幅を利かせていて、冒頭の数分ばかりがもてはやされた時代でもあった。
ハイティンクは、冒頭は全体の一部のような扱いで、以外にもあっさり。
聴かせ上手なゴージャスサウンドばかりが評価されていたから、当時は評価はいまいちで、いま現在の耳聴くと、いまや、こんな豊かなサウンドを聴かせるコンビはないから、こちらの方がある意味ゴージャスに聴こえる。
名コンマス、ヘルマン・クレバースのオケの一部を担っていたような存在のソロもいい。

年月を経て80年代のハイティンクとコンセルトハボウのシュトラウス。
CD初期の「死と変容」「ドン・ファン」「ティル」の3曲を収めたものは、レコードで購入したけれど、CD時代では、ツァラトゥストラとカップリングし直したものを購入。
ここでは、ドン・ファンは旧録音の71年盤に入れ替えられ、ティルは省かれた。
未取得の「ドン・キホーテ」とともに、いつかは手に入れねばと思ってる。
しかし、「死と変容」が滴り落ちるような濃密な豊穣サウンド満載で、これぞ、シュトラウスだと思わせる。
グライドボーンでオペラの指揮もするようになっていたハイティンク、モーツァルトやシュトラウスを盛んに取り上げていた。
そんな経験も上増しされ、純音楽的なアプローチに加え、豊かな歌と劇的な要素をその解釈により加味するようになり恰幅が一段と増した。
音の響きに埋もれてしまい散漫になりがちなこの曲に、一本、筋がピシリと通っている。
金管の咆哮も刺激的でなく、ティンパニの連打も耳に心地よい、録音のよさも演奏を引き立てている。



さらに名演・名録音、このコンビの最大傑作のひとつが、アルペン。
堂々たるテンポが実いい。
テンポばかりでなく、ここでも音のひとつひとつが充実してやはり密度は濃い。
このようなアルプスのごとき威容を前にして、聴くこちら側も背筋がキッチリと延びる思いだ。
標題音楽でありながら、交響曲であるというこの楽譜を信じ、正面から堂々と向き合った演奏で、全体の構成感も完璧だし、各処を見れば、登山・下山の楽しみ、スリル、絶景をそれぞれに味わわせてくれる。
ハイティンクの丹精な音楽が、この時期、コンセルトヘボウとの長年の結びつきの完成形でもって巨大な音楽芸術を築き上げたと確信したものです。
何度も言うけど、ホールの響きを豊かにとらえつつ、低音から高域まで、実に音楽的に鳴り響くフィリップスの録音がまた実に素晴らしい。
よき時代であったと、つくづくと思う。
そして、アルペンの終盤では、しみじみと回顧をすることとなりました。

ハイティンクは、アルプス交響曲をよほど得意にしていて、ロンドン響とも再録音してます。
promsでのウィーンフィルとの演奏、シカゴの定期での演奏、いずれも録音してます。

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協奏曲の録音がやたらと多いのも、このコンビならでは。
フィリップスレーベルの看板奏者たちの協奏曲録音は、ハイティンク&コンセルトヘボウか、コリン・デイヴィスが起用されることが多かったからだけど、いろんな奏者たちから声がかかり、他のレーベルにも録音をするようになったのが80年代以降。

アシュケナーが協奏曲で共演したいのは、オーマンディとハイティンク、プレヴィンと語っていた。
奏者を重んじ、その演奏に寄り添い、そして柔軟に、完璧に付き添ってくれる指揮者として。
オペラ指揮者としても大成したハイティンクについても、あてはまることだと思うし、ある意味オペラ指揮者としては、その先の突き抜けたような独裁的な統率力のようなものがなかったこともわかります。
ちなみに、同様に協奏曲の共演で、ひっぱりだこだったのは、アバド、マリナーもそうでした。



  ベートーヴェン/ブラームス ヴァイオリン協奏曲

     Vn:ヘンリク・シェリング

      (1973.4 @コンセルトヘボウ)

シェリングの数度の両曲の録音の最充実期、最後の正規録音。
もうね、ソロもオケも立派すぎて、あたりを振り払うくらいの恰幅のよさと、音の豊かさにあふれてる。
おおらかさを感じる大人の演奏。
しかし、決して緩くなく、厳しさに裏打ちされた求道的な一途さもあり、曲の本質をとらえてやまない、シェリングとハイティンク。
あと、メンデルスゾーンとチャイコフスキー、バルトークの録音もあります。
そちらは、ロマンの息吹きがちゃんとあります。
ベートーヴェンとブラームス、コンマスのクレバースをソロにした録音もありまして、こちらはまだ未取得ですが、きっと家族風呂のような親密な演奏なんじゃないかと思ったりもしちゃってます。

ベートーヴェンとブラームスのピアノ協奏曲は、アラウとの共演がありますが、ペライアとのベートーヴェンともども、いまだ未視聴、次なる課題です。



  ブラームス ピアノ協奏曲第1番/第2番

    Pf:ウラディミール・アシュケナージ

    Pf:アルフレッド・ブレンデル

     (1973、1981 @コンセルトヘボウ)

ハイティンクにうってつけの、ブラームスの協奏曲。
コンセルトヘボウとは、こちらのふたつの音源、アシュケナージとの81年、ブレンデルとの73年の録音。
さらに、アラウと、60年代にベートーヴェンとともに録音。
ともにハイティンク向きのシンフォニックな規模の大きな作品ゆえに、文句なしの柔和かつ強靭な演奏です。
ハイティンクの個性としては、2番の方が向いてますし、ウィーンフィル・アシュケナージの演奏が最高です。



 ラフマニノフ ピアノ協奏曲 全曲

   Pf:ウラディミール・アシュケナージ

     (1984~1986 @コンセルトヘボウ)

ピアニストとしても、指揮者としてもラフマニノフすべてを録音したアシュケナージが、プレヴィンとの録音のあと、2度目の全曲録音に選んだのがハイテインクとコンセルトハボウでありました。
ハイティンクのラフマニノフはこれ以外になく、交響曲はまったく取り上げなかったが、コンセルトヘボウとのコンビから想像されるとおりの、くすんだ響きと重厚さに、豊麗なるロマンティシズムが感じられる。
重いだけでなく、しっとりと憂いも含んで、唸りをあげるかのような低弦、むせぶようなホルンが素晴らしいが、ロシア風のむせび泣きような憂愁とは異なる品のよさがあります。

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2回に分けた、コンセルトヘボウとの思い出の音盤。
声楽作品は、ブルックナーとマーラー以外は少なめ。
ネーデルランドオペラでも、ピットに両者は入っていたのでしょうか不明です。
ハイテインクにとっても、コンセルトハボウにとっても、さらにフィリップスレーベルにとっても、最も幸せな時代だったかと思います。

コンセルトヘボウには、60年代から日本人奏者がたくさん在籍してます。
一番有名なのはヴィオラ首席をつとめた波木井 賢さんで、来日したとき、映像の数々でとても目立ってましたし、ハイティンクの信頼も厚かった方です。
メンバー一覧を調べたら、現在も6人の日本人がいました。
弦が5人、そしてティンパニです!
日本の音楽ファンには、コンセルトヘボウはウィーンやベルリン、バイエルンと並んで大好きなオーケストラですね。

次回は、ロンドンフィルに行きます。



コンセルトヘボウのサイトにリンクがあったハイティンクの追悼掲示板。

わたくしも、1,029本目の蝋燭を灯しました🕯

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2021年10月24日 (日)

ベルナルト・ハイティンクを偲んで ① RCO



ベルナルト・ハイティンク(1929~2021)

2021年10月21日、ロンドンの自宅にて家族に看取られつつ逝去。

2019年に現役引退を表明し、ウィーンフィルとのブルックナーの7番を最後に、ロンドンにて穏やかな日々を過ごしていたものと思います。

わたくしのblogをご覧になっている方は、自分のフェイヴァリット指揮者として、4人の名前を何度もあげて記事を書いていることはご存知かもしれません。
クラウディオ・アバドをことさらに愛し、その次に同じくらい長く聴いてきたのが、ベルナルト・ハイティンク、そして、アンドレ・プレヴィンに、ネヴィル・マリナーの4人の指揮者です。
2014年のアバドにはじまり、2016年にマリナー、2019年にプレヴィン、そして2021年にハイティンクと、相次いで物故してしまいました。
ベームやバーンスタイン、ヤンソンスも好きですが、彼らとは違う次元で、ずっと聴いてきた指揮者たちです。

長い音楽視聴ライフのなか、じわじわと来る寂しさと空白感を味わってます。
ハイティンクが指揮してきたオーケストラやオペラハウスの追悼記事を各処見るにつけ、いかに尊敬されていた指揮者か、つくづくと思いました。

ハイティンクの経歴を以前の記事から転載します。

   1929.3.4    アムステルダム生まれ
   1954           オランダ放送フィルにて指揮者デビュー
   1957~1961       オランダ放送フィル 首席
   1961~1988   アムステルダム・コンセルトヘボウ 
                                     主席(64年から音楽監督)   
   1967~1979   ロンドン・フィル首席(芸術監督)
   1977~1988   グライドボーン音楽祭 音楽監督
   1987~2002     コヴェントガーデン歌劇場 音楽監督
   1994~2000    ECユース管 音楽監督
   2002~2005    ドレスデン・シュターツカペレ 首席指揮者
   2007~2008   シカゴ交響楽団 首席指揮者
   2019                 引退
   2021.10.21        逝去 享年92歳 
            

   常連指揮者    ボストン交響楽団 首席客演指揮者        
            ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、ロンドン響
                                    バイエルン放送、ニューヨークフィル、
            フランス国立管、パリ管、オランダ放送フィル
            ヨーロッパ室内管、モーツァルト管
            ルツェルン祝祭管、チューリヒ歌劇場

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ハイティンクといえば、わたしにはコンセルトヘボウ、追悼第一回目は、コンセルトへボウとの交響曲録音を。



ハイティンクという名前を覚えたのが、クラシック聴き始めの小学生のとき。
初レコード、ケルテスの新世界を買ってもらったときに、もらったパンフレットの一部がハイティンクのものだった。
69年のロンドン・フィルとの来日にあわせてのもの。
ブルックナーとマーラーってなんだろう、誰だろうと思ったものだし、そんな謎の作曲家のレコードばかりのハイティンクって・・・・
しかし、0番っていったい??と激しく悩んだ小中時代でした。



これを見て、ハイティンクのハイドンを聴きたくなった方もいらっしゃると思います。
CD化されてないですね。



ハイティンクの初レコードは、高校生の時に買った名演集の1枚。
74年のコンセルトヘボウとの来日記念盤だったと記憶します。
コンセルトヘボウの重厚な響きと柔らかさ、ハイティンクの堂々とした指揮ぶりが、これ1枚で楽しめました。
いろんな音楽を貪欲に吸収していた時分、ルスランとリュドミラ、運命の力、モルダウ、死の舞踏・・などなど、毎日聴きました。



  ブラームス 交響曲第3番/悲劇的序曲

         (1970.5 コンセルトヘボウ)

同じころに買ったブラームスの3番。
73年にアバドとウィーンフィルがやってきて、ブラームスとベートーヴェンの3番を演奏し、テレビで視聴し、アバドの大ファンとなった。
同時に、ブラームスの3番の魅力に取りつかれ、ハイティンクのレコードを買った。
当時は、ちょっとそっけなく、もっとこう歌わせて欲しいなんて思ったけれど、後年、CD化されたもので聴きなおしてみると、オーケストラの持ち味を生かし、弦を美しく響かせることに注力した素晴らしい演奏に思うようになり、このあと録音された、コンセルトヘボウとのブラームス全集は、かけがえのない1組となったのでした。
この全集は、ふくよかな2番が一番素晴らしい。

ハイティンクとコンセルトヘボウは、日本には4回来日している。
62年と68年がヨッフムとともに、あと、74年と77年。
77年の来日を、行こうかなと思っていたものの、大学受験とかあるしで、なんだかんだであきらめた記憶があります。
その時の演目は、先のブラームス3番、海、ベートーヴェン8番、マーラー4番などで、FM東京が放送してくれて、マーラーがたいへん高評価だったが、そのエアチェックテープは消失させてしまった・・・・・

全集魔と呼ばれたハイティンクを、体系的に集めだしたのはCD時代になってすぐに。



  ブルックナー 交響曲第8番/第9番

           (1981.5、11 @コンセルトヘボウ)

ブルックナー孤高の名作ふたつの演奏で、自分的には、ハイティンクとコンセルトヘボウの2度目の録音が最高だと思っている。
コンセルトヘボウの黄金期を築き上げたハイティンク、このコンビの最良の時期が、70~80年代半ば。
弦の幾重にも重なりあう響きの美しさ、そして低域から高域までのピラミッド構造は安定感と抜群で、作為的なものが一切なく、音楽のみが堂々とそびえたつ感がある。
オーケストラ・ホール・指揮者の個性が三位一体となって、加えてフィリップスの録音とで、最高度に造りあげられた音楽芸術。

ハイティンクとコンセルトヘボウは、このあと8番を2005年にもう一度録音したが、私には、81年盤の方がしっくりきます。
よく言われるように、コンセルトハボウは、ハイティンクからシャイーになって、変わってしまったと。
ここに聴かれるのは、家族のような絆を感じる音楽だと思うのです。

60年から72年にかけて録音された全集も、よくよく聴けば、若気の至りてきな煽りっぷりが顔を出すけれど、コンセルトハボウならでは落ち着いた音色で楽しめる随一のブルックナー全集。
緩徐楽章だけど取り出してそれぞれ聴いてみると、もうそこに感じるのはヨーロッパの景色そのもの。



  マーラー 交響曲第4番

     S:ロバータ・アレクサンダー

     (1983.10 @コンセルトハボウ)

  マーラー 交響曲第1~5、7、9番

     (1977~87年 コンセルトハボウ)

ブルックナーとともに、マーラーのスペシャリストでもあったハイティンク、早くに交響曲全集を完成させた。
実は、その1回目録音は、全部揃え切れていません。
その後の83年の4番が素晴らしい。
ハイティンクは、マーラーのなかで、4番を一番多く指揮したのではないかと思います。
マーラーの演奏に伝統のあるコンセルトハボウ、ことさら4番は、独特の風味付けがあり、ハイティンクもそれにならい、ときに濃厚な味わいを醸し出しますが、それが実によろしい。
弦は相変わらずに美しく、ビロードのごとく肌触り。
3楽章は、まさに天国的な響きに浸ることができます。
ブルックナー8番と同じように、2006年にRCO独自レーベルに再録音してますが、これまた同じように、こちらの83年の演奏に及びません。

6番と8番を除く、クリスマス当日のマチネライブがまったくもって素晴らしい。
1番のみ77年で、あとは81年から87年までの演奏。
どれも、ライブならではの感興にあふれつつ、いつものハイティンクらしく、真摯にマーラーの音楽に取り組んでいるのがわかります。
演奏時期が、88年のコンセルトヘボウ退任前までですので、このコンビの最良の姿がここに聴かれます。
音楽が、音が、響きが、ほんとうに豊かです。



 ベートーヴェン 交響曲第9番

  s:ジャネット・プライス A:ビルギット・フィニレ
  T:ホルスト・ラウベンタール Bs:マリウス・リンツラー

        (1980.10 @コンセルトヘボウ)

 シューベルト 交響曲第9番「グレイト」

        (1975.@コンセルトヘボウ)

ふたつの第9、といってもいまやシューベルトは、8番なのか。
この2枚も、わたしには思い出深い演奏。
ロンドンフィルとの全集に続いて、コンセルトヘボウでのベートーヴェンを期待していたが、こちらは全集には続かず、ライブでの単発。
CD初期に、通常4500円もしたのに、3000円という限定価格だった。
ハイティンクのライブ録音は、これが初ではなかったかな?
大編成で堂々と演奏されるこの第9、唯一の不満は、立派すぎることだった。
そのあとの、コンセルトハボウとのベートーヴェン全集は、それこそ、このコンビの集大成のような理想的なキリっとした名演ばかり。
ジャケットが、コンセルトヘボウのホール外観だったのも実によかった。
それもそのはずで、コンセルトヘボウ創立100年の記念の全集でもあり、ハイティンクとコンセルトハボウとの結びつき、音楽監督としての最後の大輪の花だった。

香り高いシューベルトは、このコンビの真骨頂。
無為無策のように何もせずして、音楽的、まるで、スルメのように噛めば噛むほど味わいが増す音楽であり演奏。
ハイティンク向けのこの曲だけれど、このコンセルトヘボウ録音以外に再録音はしませんでした。
手持ちにはベルリンフィルとのライブエアチェックがありますが、こちらの方がずっとステキだ。



      シューマン 交響曲全集

     (1981~84 @コンセルトヘボウ)

これもまた、ハイティンクとコンセルトヘボウにぴったりの音楽で、すぐさま全集となりました。
木質の音楽、馥郁たる河の流れ。
シューマンの音楽が、こんなに豊かで、隙間なく音であふれているなんて。
これを聴いてしまうと、バーンスタインやエッシェンバッハのシューマンは疲れてしまう。
そしてフィリップスの録音が素晴らしい。
さらに、このジャケットが素晴らしい。
これにデッカのマークは似合わない。



  チャイコフスキー 1812年、スラヴ行進曲、フランチェスカ・ダ・リミニ

          (1972.8 @コンセルトヘボウ)

  チャイコフスキー 交響曲全集

          (1974~79 @コンセルトヘボウ)

アナログ期の最高のチャイコフスキーを産み出したのは、ハイティンクとコンセルトヘボウ。
1812年の自分にとっての初レコードがこれで、荘厳かつ神々しい純音楽的な1812年。
録音も最高だ!
さらに、スラヴ行進曲も堂々たるもので、この演奏で、この曲の素晴らしさに目覚めたフランチェスカも実にいい。
志鳥栄八郎さんが、ハイテインクはチャイコフスキーを録音するようになったら売れる、と書いておられた。
4番と6番は再録音となりましたが、それらはさらにスケールアップし、全集の手始めとなった5番なんて、とんでもなく美しく、そして堂々とした、自分にとっての超名演であります。
1~3番も、録音とともに最高。
大好きな1番は、いつまでもずっとずっと聴いていたい。
あとマンフレッドまで、ご丁寧に録音してくれましたが、バイロンの荒唐無稽な大叙事詩を、豊穣なサウンドと木目調な響きでもって、刺激臭なく、鮮やかに聴かせてくれてる。
ロシア系の演奏と対局にある、ヨーロピアン・チャイコフスキーの最高峰的演奏と思う。



 ショスタコーヴィチ 交響曲第8番/第13番「バビ・ヤール」

    Br:マリウス・リンツラー(13番)

      (1982、84 @コンセルトヘボウ)

フィリップス以外のレーベルにハイテインクが録音したのは、デッカへのウィーンフィルとの幻想交響曲。
そして、アナログ末期からデジタル期をまたがるように、ショスタコーヴィチの交響曲をデッカに録音するようになり、ついに全集を完成させました。
ロンドン・フィルと始めた録音は、途中からコンセルトヘボウに切り替え、コンセルトハボウとは、5、6、8、11~14番の7曲を録音。
この全集を目指した録音が始まったとき、私は驚きました。
なんたって、独墺系の大家というイメージが定着していて、チャイコフスキーはともかく、ショスタコーヴィチに取り組むなんて!
77年の10番から始まり、最後は84年の13番。

この頃から、ポスト・マーラーという言葉がささやかれはじめた。
ブルックナーとマーラーの次に来るのは?
その答えのひとつがショスタコーヴィチで、ハイテインクは、ショスタコーヴィチがソ連でおかれた境遇や環境などを踏まえながらも、シンフォニストとして、真正面から楽譜優先でとらえた純音楽的な解釈でもって全集録音を残した。
この姿勢は、ショスタコーヴィチの演奏のひとつの模範解答のようなもので、そのあと続いたインバルやヤンソンスもそうした傾向を踏まえたものだと思っている。

8番は、ハイティンクがショスタコーヴィチの交響曲のなかで、一番数多く指揮してる作品。
曲の持つ深刻さを引き出しつつ、この作品が保ってる交響曲的なかっちりした構成感をみごとに表出してる。
暴力性は少なめ、すべてが正確だけど、マーラーに近い、パッチワーク的なサウンドもきっちり聴かせてくれる。
正規音源はこれひとつだけど、エアチェック・ネットチェックを集めたら、ドレスデン、ボストン響、ロンドン響の演奏もアーカイブできました。
13番のコラージュのような、いろんな心情をまぜこぜにした死や恐怖を背景にした作品でも、ハイティンクは堂々と向き合い、深刻さよりも、譜面に書かれた音楽の忠実な再現に徹している。
結果、その音楽が自ら語りだし、聴き手の想像力を高めるような、押しつけがましさのない、作品本来の姿を見せてくれる演奏となっている。
 ハイティンクのすごさは、こうしたところだとうと思う。



ハイテインクとコンセルトハボウ、次は、管弦楽曲と協奏曲篇です。

長い特集となりそうです。

ベルナルト・ハイティンクさんの魂が、安らかなること、お祈りいたします。

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